キリスト教マメ知識
灰の水曜日
「今こそ、心からわたしに立ち帰れ
断食し、泣き悲しんで。
衣を裂くのではなく、
お前たちの心を引き裂け。」 (ヨエルの預言書2.13)
典礼は、灰の水曜日から四旬節に入ります。
イエスが宣教生活に入られる前に砂漠で40日間断食をされたことにならい、教会生活の伝統では断食、節制が行われてきました。
ラテン語のクワドラジェジマ(Quadragesima:四旬節)の40という日数の象徴的原型は、まさにこのイエスの40日の体験にあるのです。40という数は、旧約の時代からすでに象徴的な意味をもっていましたが、キリスト者はキリストの断食と祈りに倣いたいという思いから自然にキリスト者の中におこってきたものです。
キリスト教国でない日本では、四旬節のはじめである灰の水曜日と主の受難(聖金曜日)を、大斎(だいさい)・小斎(しょうさい)の日と定めています。
大斎や小斎は、自分の心を神や人々にささげることのしるしです。四旬節にはことにその精神で生きたいものです。
灰の水曜日ではじまる四旬節の40日間(日曜日は数えない)は、1年の典礼の頂点である復活祭を目指しての準備期間です。 四旬節は、
という性格をもっています。教会は3世紀ごろから四旬節を洗礼準備の季節としてきました。この期間、洗礼志願者だけでなく、全教会の信徒たちが志願者たちのために祈り、また自分たちの洗礼の時を思い起こし、洗礼の約束を更新する準備をします。
教会は、この期間を、なによりも主イエスの受難と死を思い起こし、救いの「時」の中心に向かって、回心と償いの期間として過ごします。
この期間に、教会は、私たちの心が本当にどこに向かっているのかを問いかけ、自己中心から神と人々に向かう「心の転換」(回心)を呼びかけています。
今日行われる「灰の式」は、「土から出て土に帰っていく私たちが、四旬節の努めに励み、罪のゆるしを受けて新しいいのちを得、復活されたおん子の姿にあやかることができるように」願って、昨年枝の主日に祝福していただいた、棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝を燃やした灰を司祭は一人ひとりの額にかける式も行われます。
灰をうけた私たちは自分に頼るのではなく、回心を呼びかけておられる神に信頼して生きることができるように嘆願します。