キリスト教マメ知識
聖週間
ゲッセマニのオリーブの木
聖週間は教会にとって特別なときです。
聖週間の典礼には、イエスの受難、死、復活にすべてが集中します。すべての動き(活動)は沈黙し、このときは典礼の動きが優先します。教会全体が、イエスの受難、死、復活に全神経を集中しています。
典礼は、歴史の出来事、あの救いの出来事を神秘的に再現していきます。2000年前の出来事の単なる反復ではありません。あの一回限りの、決定的出来事を、毎年記念することによって、絶えず新にしていくのです。その中で私たちは、2000年前の出来事、救いのドラマに触れていくのです。そして、聖週間の典礼をとおして、私たちはこのドラマを自分の中にもう一度確かめていくのです。ですから傍観者としての姿勢は許されません。
聖書朗読も、イエスの受難物語が読まれます。イエスの受難が初代教会にとって、大切な意義をもっていたことがわかるのは、すべての福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)がそれを伝えているからです。それぞれの福音史家たちは、少しずつニュアンスをかえて伝えています。
この受難の物語をとおして、教会は、苦しみ、十字架の道をたどるイエスの神秘を黙想し、祈るようにと招きます。
典礼における聖書朗読も、イエスの受難物語が読まれます。
その理由は、受難と死をとおって復活の栄光へと過ぎ越していく、キリストの生涯のもっとも中心的な出来事だからです。キリスト受難の出来事がいきいきと再現されるように、伝統的にキリスト、語り手、群衆などと役割を分担して読まてきました。ことに典礼に参加している会衆は、群衆の声を受け持っています。
ペトロの心に、群衆の心に、女性の心に…そして、イエスの心になってみましょう。そうして、ドラマの中の出来事をたどることにより、キリストの神秘に深く触れていくことができるのではないでしょうか。
受難のドラマが罪の神秘の啓示であり、典礼の一つのモチーフが罪の神秘であるなら、愛の神秘の啓示は、もう一つのテーマでしょう。
聖週間の典礼の深まりと同時に、このときを、私たちは、教会とキリスト者としてのいのちの根元をもう一度確かめ、新たにするときとしましょう。
第1日目:ユダヤ暦の週の第6日
木曜日の日没から金曜日の日没まで。最後の晩餐からイエスの死、そして墓に葬られるまでです。 教会の典礼では、聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」にはじまり、翌日午後3時ころ(正式にはこの時間に典礼が行われます)に行われる聖金曜日「主の受難」の祭儀までです。
第2日目:ユダヤ暦の安息日
金曜日の日没から土曜日の日没まで。 教会は、主の墓のもとにとどまって、主の死をしのび、祭壇の飾りを除き、この日はミサもささげません。
第3日目:ユダヤ暦の週の初めの日
土曜日の日没から日曜日の日没まで。 教会は、この夜を復活徹夜祭で盛大に祝い、翌朝の復活主日のミサ、そして復活主日の晩の祈りでこの日を締めくくります。
死からいのちへのキリストの過ぎ越しを祝う復活徹夜祭のミサの中で、成人のキリスト教入信式(洗礼、堅信、聖体)が行われます。