キリスト教マメ知識
会堂(シナゴーグ)
会堂は、ユダヤ人にとって、礼拝の場であり、社会生活、宗教生活の中心であり、子どもたちの教育の場でもありました。
エルサレムの神殿が破壊され、バビロンに補囚されたイスラエルの民は、もう神殿に行って祈り、いけにえをささげることはできませんでした。
彼らは、バビロンという異文化の中で暮らす自分たちのアイデンティティを保つために、各地に会堂(シナゴーグ)を建て、安息日を守るようになりました。
バビロンだけでなく、離散ユダヤ人の住む各地方でも、会堂が造られていきました。
会堂は、必ず、会衆がエルサレムの方向を向いて座るように造られていました。
そこでは、旧約聖書が読まれ、その解説を聞き、祈りが行われましたが、それだけではなく、結婚式や葬儀、その他の集会が開かれ、裁判も開かれていました。
礼拝は安息日の午前と午後に行われました。
新約聖書には、しばしばイエスが会堂に行かれたことが書かれています。イエスの時代、会堂が人々の中で大きな影響力をもっていました。イエスは、ナザレで、またカファルナウムでイエスが説教をされ、そのことばに人々が驚いたことが記されています。
これは、「シェマー・イスラエル」を唱え、祈りと祝福の後、トラーが読まれます。
続いて預言書の朗読の後、説教がありました。この説教は、決まった人がいつもしていたのではありませんでした。ですから、イエスが話を頼まれた時も、パウロが頼まれて話すこともあったのです。