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第2バチカン公会議から50年

一人一人の福音への回心

シェガレ・オリビエ

真生会館館長、パリ外国宣教会日本管区長

第2バチカン公会議を語るたびに、私の青春に当たる60年代の風潮が思い浮かんでくる。あのころ世界の人々の心に自由の火が燃えていた。独立運動や労働運動が盛んになり、人々は命をかけて抑圧からの解放を求めていた。それは時代の風であるとともに、聖霊の働きでもあったと信じるこの解放への願望は、教会にも浸透し、形骸化していた神学、制度、組織を根底から揺さぶり、歴史を動かし、公会議のプロセスを助長した原動力の一つだったと思う。

方向がまだ定まらないうちに、公会議を招集した教皇ヨハネ23世の、期待のこもった三つの呼びかけは今でも私の心に響く。

「人を裁く教会ではなく、知恵の宝を分け合い、人類の役に立つ教会を考えよう!」「息が詰まりそうな教会に、窓を開け、新鮮な空気を入れよう!」「生き生きした源泉へ立ち戻り、リフレッシュして、時代の要求に応えよう」

特に三つ目、聖書と聖伝である信仰の源泉への回帰は、公会議の20年ほど前から長く準備されていて、神学校にいた私たちの霊的な飢え渇きを潤していた。

公会議は、新しい教義を定めず、刷新、今の表現で言えばアップデートに過ぎなかったという評価をよく聞くが、それは誤解のような気がする。非常に豊かな神学的な内容をもつこの公会議は刷新だけではなく、教会にとって今も終わっていない深い霊的経験への旅立ちだった。

読み直してみよう。どの憲章や教令もそれぞれの主題に入る前に、神の啓示行為に遡り、キリストを中心とした神の計画にテーマを位置づけさせている。そのためか文章の内容は高度で濃密で、ときどき重く感じるし、文章はなかなか日本語になれないため、日本に広まりにくかったのだろう。伝わらなかったもう一つの理由は、内容を砕けて伝えようとする教会の努力が少なすぎたから。神学者ではない私は、札幌にいたとき、公会議の文書を読む勉強会を開いた覚えたあるが、三回目に挫折してやめてしまった。

日本に伝わってきたのは何だったろうか。開かれた姿勢への転換とか、参加型の教会のあり方とか、典礼の言葉の日本語化とか、ごく表面的で限られたものではなかったか。ともかく全体的に見て、日本の教会の中で、公会議への関心は薄かった。その点で、テーマも論理の進め方も馴染みを持ちやすいヨーロッパの人々の関心と期待の程度とは違っていた。

しかしヨーロッパでは、著しい教会離れの現象がはじまった90年代から、その責任は公会議にあったという保守派の告発がなされはじめて、評価がマイナスに変わった。公会議というよりは、公会議の内容を「断絶」として見ようとしていた私たち世代の解釈に対する告発だった。その解釈のため、多くの人が昔の良い制度や伝統を棄てて、と考えて、その結果、教会という制度の権威が低下し、召命が激減し、教会は深い混迷の状態に陥ったとしている。

確かに公会議の後に叫ばれた「断絶」の解釈について反省の必要がある。源泉への回帰を唱え、実際に公会議に関わり、その教えと姿勢を全面的に肯定してきた現教皇は、「断絶」ではなく「深い継続」だと訴える。それは正しいように思う。私を含めて、解放のイデオロギーに汚染され、様々な形や手続きを放棄した世代は、信仰の手がかりを失った次の世代に厳しく批判されて仕方がない。

とはいえ、公会議に対する反動の行き過ぎには私たちは納得できない。公会議の刷新が復興とされ、公会議から生まれた運動への弾圧、神学の統制、法的処理の優先、保守的な司教の任命、典礼表現の締め付け、ローマの中央集権主義など、いろいろな面で公会議の精神が否定されてきたことを私たちは感じるから。

しかし今、世代感覚が絡む解釈の対立に巻き込まれずに、新ジェネレーションの神学者とともに冷静に、公会議の示した姿勢と残した課題をもう一度考える必要がある。まだまだ達成していない教会の課題は特に三つあると考えられている。

まず時代の変化、それに伴うチャレンジに応えること。これは公会議の目標の一つだったが、その後、時代が大きく変わったので適応し直す必要がある。特に最近、教会の公文書によく出ている世俗化、相対化、多様化に関するチャレンジ。この三つとも現代社会の評価すべき特徴だが、「主義」になったとき信仰の排除につながる。世俗主義は科学万能信仰の上に立ち、、神を必要としない、あるいは宗教を排除し、私的な領域に追いやる主義。相対主義は寛容という美名のもとに時代の気分となり、人の考えはそれぞれ、皆が共有できる真理というものはない、倫理の基準は応用可能なものか調査の数以外に存在しないという考え方。多様主義(多元主義)は良い意味の多様性と違い、つながりの細分化、分裂の現状の肯定、信仰や価値観の共有への道を閉ざす主義。この三つの主義はかつての全体主義のような物々しい主義と違って、知らず知らずのうちにヨーロッパ文明に浸透してきたと教皇は嘆いているが、日本は違うから関係ない、と言えるだろうかと問いたい。

公会議が残した次の課題は教会の普遍性、真の「カトリシティ」の達成。同じ福音、同じ信仰、同じ祭儀が多様な文化によって分かち合われていくプロセス。多くの神学者は公会議、その後の発想もヨーロッパ中心の発想に留まったと認めている。今普遍的な一致のしるしとして私たちに勧められているのは、西洋の思想にかなり偏った「カトリック教会の教え」というものだが、それだけでいいのだろうか。普遍的な教会の交わりの中に日本の文化の味が発揮され、一致の豊かさに貢献しているかどうかという疑問が残る。

第三の課題は公会議が皆の参加を促すためによみがえらせたシノドスの運動、その活性化や普及。日本ではNICE(福音宣教推進全国会議)が、司祭や信徒の参加を巻き込んで、大きな成果を上げたが、なぜ行き詰まりに終わったのか。シノドスこそ公会議の発したダイナミズムを受け継ぐ運動のはずだ。シノドスのおかげで世界の教会は公会議の刷新を継続させてきた。日本の場合は全国ではなく、さしあたって教区のレベルで、小さく、若い人のネットワークの発想をとり入れながら、この運動を是非再開してほしい。

最後にもう一つの課題として公会議はあまり触れなかったと思うが、その後、解放の神学や基礎共同体運動を通して強調された弱者の立場。最近はこのような立場に立つ動きの勢いは随分低下してきたように思えるが、日本では大震災の出来事がきっかけとなり、このような福音の原点に立ち戻るチャンスがきたかもしれない。そのときこそ公会議を見直しながら、一人一人の福音への回心が求められよう。


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