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第2バチカン公会議から50年

国の負う十字架を分かち持て

酒井 新二(さかい しんじ)

もと共同通信社社長

教皇の遺産

教皇ヨハネ23世は1958年10月28日教皇に選出された。その三か月後教皇は突如として「第2バチカン公会議」を招集したのである。1869年の「第1バチカン公会議」から93年ぶりの公会議召集はバチカンはもとより世界のカトリック教会と信徒に大きなショックを与えた。

「第二バチカン公会議」は教会史上21回目の公会議だが、教会用語でいえば、まさに“摂理的”なものであった。同教皇は在位わずか5年で死去されたが、その教会史上に果たした意味・役割はまさに歴史的なものであった。

たどりついた道

ヨハネ23世が切り拓いた道に日本の教会がたどりつくまで実に25年を要したわけである。日本の司教協議会は1984年6月「日本の教会の基本方針と優先課題」という文書を発表、日本カトリック教会の戦争責任について公式に謝罪した。その3年後の1987年11月京都で第1回「福音宣教推進全国会議」(いわゆる「NICE-I」)が開かれたのである。それは「日本の教会」が長い冬眠から目ざめた瞬間、最も燃え上がった瞬間であった。

しかし現在、多くの信徒はもはやあの“京都会議”という名称も雰囲気も理解できないにちがいない。

保守的教会からの脱却

しかしこの「日本の教会」の高揚は長くは続かず、「NICE」はわずか2回で終わり、「日本の教会」も燃え尽きる蝋燭のようにはかなく消えていったのである。

それは“保守的バチカン”の復活であり、同時に「日本の教会」から「小教区の教会」への逆もどりであった。

いまから10年以上も前の「大阪カトリック時報」(2000年5月号)に注目すべき論文が載った。「妖怪の棲む教会」―ナイスを越え教会の明日を求めて―というのがそのタイトルである。それは大阪教区の中川明師の労作だが、私のメモによるとその概要は次のようなものである。

「ゆきづまった日本の教会」というタイトルで、その序文(はじめに)は次のように書きだしている。「キリスト者として私たちはこの社会でどのように生きていけばよいか分からなくなっている。頼りにしていた神父さんたちが教会から姿を消していく。私たちは、どうも、深い森に迷い込んでしまったようなのです。」

中川論文の要約

以下本文は次のとおりである。

一.日本の教会は、日本の戦後復興期に急成長した。しかし経済発展期には逆に失速してしまった。教会は日本経済の目覚ましい発展に対応した信仰の道のあり方を掲げることができずにいる。

一.成人洗礼者の数は敗戦後には4千人だったのが、1950年には1万人を超えた。しかし60年代以降は減少に転じ、70年代には敗戦ころと同水準に落ちこみ、その後横ばいを続けている。その結果、司教も活動家の信徒も高齢化し、減少している。

一.司祭総数は1972年に2000人弱だったのが98年には1800人弱と減少傾向にある。司祭の年齢別変化は、60歳未満、1972年1655人、98年には820人と半減している。20~30歳代の若手は72年1495人だったのが、98年には213人と60パーセント減となった。シスターも同じ傾向をみせている。

一.結論的には福音の力で日本の社会のすべての営みを内部から新たにしていくことが必要であり、これこそがわれわれの目指す日本における福音宣教である。司教を中心にすべての“神の民”がそれぞれの役務の特性と段階に応じて協力して責任を分かち合わなければならない。

ドイツ司教団の神学的指導者、J・B・メッツが「ヨーロッパで教会は“ブルジョア宗教”に堕落してしまった」と自己批判した言葉をわれわれも忘れてはならない。

以上が中川メモの要約である。

「日本の教会」の再生

日本の教会はもう一度「第2バチカン公会議」と「NICE-I」の理念に帰らなければならない。それには「小教区教会」から「日本の教会」への意識の再転換をはかることが不可欠である。

同時に日本の教会が日本社会の中に生きている現実をしっかりと捉え、日本社会の抱える諸課題に積極的に取り組む智恵と勇気を持たなければならない。このことは現代の社会人として当然のことであり、特別に難しい課題ではない。現代の日本社会に生きる日本人としての当りまえの認識と行動に過ぎない。第2バチカン公会議―NICE-Iの流れのなかで司教協議会が掲げた「聞き、吸い上げ、生かす」という姿勢と「教会と社会の遊離」「信仰と生活の遊離」を克服する努力をもう一度日本の教会の中にとり戻すことが必要である。

このことは易しいことではない。しかし、これなしには日本の教会の再生はありえない。

日本の教会と政治は、いまアジアと世界の激流のなかで、ともすれば確固とした足場を見失いがちである。日本の国家自体の存在理由(レーゾン・デートル)が揺れ動いている。日本はかつての発展期の勢いを失っている。日本のカトリックは、このような日本の負の十字架を分かち持つ気概を持たなければならない。


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