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第2バチカン公会議から50年

第2バチカン公会議にみるカトリックの改革その1

ホアン・マシア

イエズス会士

2012年の秋からはじまった「信仰年」に第2バチカン公会議後五十周年が祝われています。開催から450年以上経ったトリエント公会議には、カトリック教会に大きな刷新の可能性が潜んではいたのですが、残念ながら当時の教会はそのチャンスを見送ってしまいました。その後四世紀以上もカトリックは「反宗教改革的」な姿勢に徹し、現代までその後遺症を背負ってきました。やがて二十世紀、第2バチカン公会議において多いな刷新を行うことができました。この転換は、教会の二千年の歴史の中で初めてのことでしたが、そうした変化を消化するには五十年では足りないのも不思議ではないでしょう。

改革と反動のはざまに揺れ動く現在の教会では、公会議の『現代世界憲章』の意義を再確認することが重要です。その典型的な特徴をうきぼりにしてみましょう。

冒頭で(五項)「人類は、静止的世界観から動的・進化的世界観に移行したのである」と言っています。この言葉の背後には現代科学の主張とともに、教会が四百年以上の間にとってきた態度への反省が見られます。

現代科学は一、物質や生命は単純なものではなく、複雑な構造をもち、二、宇宙の諸現象は互いに無関係ではなく、深く繋がっており、三、すべてのものが変化し、進化し、生成過程を辿り続けている、と主張します。ところが、ここ四百年以上、教会は歴史的・発展的な思考をおそれ、近代化に対する警戒心をもち、一、複雑さや曖昧さをおそれて単純な形で、カテキズムのように、ものごとを割り切って説明するきらいが強く、二、多様性に対して警戒し、異質なものや違うものを恐れて排他的な態度を強め、三、変化や変革や進化などを恐れて、変わらないものばかりを強調しました。

十七世紀あたりから二十世紀半ばごろまでカトリック神学の中で用いられてきた教科書を見ると、方法や内容はよく似ており、二十世紀後半になって、内容ばかりでなく、方法や接近の仕方もずいぶん変わってきたことに気づきます。それは公会議を起点に大きなパラダイム(考え方の枠や思考法)の変化があったからです。十九世紀の初めごろから、刷新の必要性が神学者の間に叫ばれており、「もっと福音に基づくこと」と人間科学と現代の思想との対話をすることが主張されましたが、従来どおりの神学教科書と信仰入門書を弁護する人々は、「合理的な説明」と「道徳的な禁止事項」や「教会法的な規定」にたよりました。

公会議に参加する前に大多数の司教たちは保守派でしたが、公会議の仕事(出来事!)に関わり、全世界の他の司教たちと神学者から学びあい、急進の見方に変わっていきました。公会議の前に教皇庁の準備委員会がそろえた資料の中からキーワードを見れば、「異端」「破門」「誤謬」「道徳的秩序」「規律」「不変・普遍性」などが目立ちます。これとは対照的に、公会議公文書のキーワードには、「変化」「歴史的発展」「多様性」「対話」「奉仕」「カリス」「協働責任」「刷新」(aggiornamento)「源泉・原点回帰」(ressourcement)「教義の発展」などが注目されます。

十九世紀のはじめから二十世紀のなかばごろまで、教皇庁は警告や糾弾の否定的な用語で公式声明を出すのが常で、「時代の悪」に対する解毒剤としてそのような表現を用いるのが一般的でした。公会議の準備アンケートに対する回答は1998通でしたが、その多くは、現体制の現状維持の強化を要求し、現代の不道徳への非難を求め、教義のさらなる明確化を勧めました。

そういった姿勢に180度の転換を示した一例は『現代世界憲章』ですが、その33項の中で次のように述べています。「神のことばの遺産を保管し、そこから宗教と道徳の分野における諸原理をくみとる教会は、個々の問題について常に解答をもち合わせていないが、啓示の光をすべての人の経験と合わせて、人類が近年踏み入った行路を照らそうと望んでいる」。この文書が公会議の最初に検討されたとすれば可決できなかったでしょう。事実、その文のある草案は次のように謳っていました「現代の諸問題と誤謬に対して教会は解答を与える」と。しかし1965年に可決された文書は「でき合いの解答」ではなく、聖書から教会が導き出すのは「回答を探し続けるための光と力」であることが強調されました。しかも、信仰だけではなく、「すべての人々」(omnium)の「経験にもとづく知識」(peritia)を聖書から得られる方向付けと合わせるように勧められました。

この33項に表されている基本姿勢は「波紋から対話へ」「不動の教理から探究の精神へ」と切り替えた第2バチカン公会議の教会の姿であると言えましょう。ちなみに、その33項は圧倒的多数で可決され、その結果は賛成者2173人、反対したのはわずか43人でした。

第2バチカン公会議を開始し、私たちが福音に立ち帰り、教会に180度の転換をさせた教皇ヨハネ二十三世のすがたが今なおなつかしく浮かんできます。

1963年のある日のこと、夕方、教皇が疲れきっているときに、こわい顔の教理省長官(オッタビアニ枢機卿)が現れ、長い話で教皇をいっそう疲れさせました。「このごろは、どうも信仰は弱まり、神学には誤謬がふえ、司牧者がしっかりせず、道徳が乱れ……」。ヨハネ二十三世は忍耐強く聞いていました。話がやっと終わりかけたとき、教皇は何のコメントもつけずに彼の肩に親しく手をかけ、窓のほうにつれていきました。「ご覧なさい。ローマの夕焼けは、ほんとうにすばらしい」

教皇の顔には微笑みが浮かび、心から夕景を楽しんでいて、いくら暗い話を聞かされても微笑みを絶やさない余裕をもつ「憂鬱な預言者」を戒めるヨハネでした。

・その二/パウロ六世の在位期間、その三/ヨハネ・パウロとベネディクトの時代、と三回連続します。


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