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シスター今道瑤子の聖書講座

聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

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聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

第10回 マタイ4章12~17節


カファルナウム

4章12~17節は、イエスの公的活動への準備の部を締めくくり、ガリラヤを中心としたイエスの宣教の部への導入の役目を兼ね、双方をつなぐ架け橋の役目をしています。参考のためにこの福音書の内容区分の一例をご紹介しておきましょう。

マタイ福音書の内容による区分
1 著者のイエス観を要約した誕生幼年物語 1. 1~ 2.23
2 イエスの公的活動の準備 3. 1~ 4.17
3 ガリラヤを中心としたイエスの宣教 4.18~16.20
4 受難への道 16.21~26.15
5 受難、死、復活 26.16~28.20

ガリラヤで伝道を始める 12~17節

12 イエスは、ヨハネが捕らえられた(“引き渡された”とも訳すことができる)と聞き、ガリラヤに退かれた。13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

15 ブルンの地とナフタリの地、 湖(原文は海)沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、 異邦人のガリラヤ、 16 暗闇に住む民は大きな光を見、 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」

17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。


マタイ福音書の著者は12節と17節をマルコ福音書1章14~15節に沿って記していますが、その中間に13~16節を挿入しています。

洗礼者ヨハネの逮捕はイエスの運命を暗示するものです。  ヨハネが捕らえられたと訳されているギリシア語の動詞(パラディドミ)は、やがてイエスがご自分の受難に触れて、わたしは「人々の手に引き渡されようとしている(17.22)」というときに用いておられるのと同じ動詞です。「引き渡されようとしている」と受け身の形が用いられていますが、それは単にイエスの身柄が敵対者たちに引き渡されるということだけではなく、この出来事の背後に神のはからいがあることを暗示しています。

このように神の働きを語るときに、行為者である神の名を記さずに動詞の受動形を用いて婉曲に言い表す例が聖書にはひんぱんに見られます。学者たちはこれを神的受動態と呼んでいます。ユダヤ人は、「神の名をみだりにとなえてはならない」という掟を大切にし、神に対する尊敬のあまり「神」のみ名をみだりに口にしないように配慮し、神の行為を表現する場合動詞の受身形を利用しました。この習慣は、ギリシア語で記された新約聖書にも受け継がれています。

今回の「ヨハネが捕らえられたと聞いて」の場合、ヨハネの捕縛は現実にはヘロデ王の命令であるにしても、その王の行為もまた神の高遠なはからいのなかにある、ということを暗示するものと理解できましょう。そこでこの事件は、やがてイエスにも同様の危険が起きることを暗示しています。先駆者ヨハネの捕縛はイエスの本格的な活動の契機となります。

13~16節の内容はマタイだけにみられるものですから注目に値します。15~16節はイザヤ8章23節~9章1節にいくぶん手を加えた引用です。「異邦人(ユダヤ教徒以外の人々)のガリラヤ」とあります。ガリラヤ地方は紀元前8世紀にアッシリアに征服されて以来バビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマと、歴代の征服者に支配され続けた結果、異邦人の入植が後を絶たず、人種も宗教も混交状態となったため、ユダヤ教徒からは異邦人のガリラヤと軽べつされていました。

マタイがこれを引用した動機はどこにあるのでしょうか。マタイのねらいは、イエスがガリラヤで宣教されたという事実が預言の言葉の成就であり、このようにして異邦人のガリラヤで始められたイエスの宣教は、やがてこの福音書の終わり(28.18~20)に見られるように異邦人、すなわちすべての人々に向けられた宣教を生み出すことになるのだと、当時の読者に想起させることだったと思われます。マタイは旧約聖書をたびたび引用しますが、それは旧約聖書の言葉がイエスの出来事の意味をわたしたちに理解させてくれるだけでなく、イエスの出来事によって、旧約聖書がわたしたちにとって生きた言葉に変わってゆくからです。


ヨハネの生地 エインカレム

17節 マタイは「そのときから彼は」とは書かず、あらためて「そのときからイエスは」と、イエスを強調しています。「悔い改めよ。天の国は近づいた」という同じ言葉を、マタイは先に洗礼者ヨハネの口にものせていましたが、霊の力を伴った神の支配は、このイエスの活動から始まるのです。ヨハネがユダヤの土地でそれを宣べたのに対し、イエスはその宣教を最初から異邦人も共存するガリラヤで始められました。

かつて直接にはイスラエルに向けられていた神の救いの告知は、いまや異邦人のガリラヤ、すなわち、ユダヤ同様ヘロデ・アンティパスの領土に加えられていたものの、むしろ僻地だったガリラヤに始まり、やがて全世界に向けられるようになるのです。

余談かもしれませんが、すべての人々に向けられた宣教というとき、けっして強制を意味しません。イエスのなさり方は人間の自由をあくまで尊重するものでした。長い教会の歴史のなかには誤って被征服者に強制的な改宗を迫ったこともありましたが、そのようなことは人の過ちでありキリストの思いではありません。

天の国は空間とか領域をではなく、支配するという活動そのものを言い表しています。「悔い改めよ」という呼びかけがあることにより、神の主権を認めようとしない人々がみな、その主権を認めるように招かれていることがわかります。

四人の漁師を弟子にする 18~22節


ペトロとアンドレへの招き

18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。

19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた

20 二人はすぐに網を捨てて従った。

21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった

22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。


18~20節ではペトロとアンデレの、21~22節ではヤコブとヨハネの召命が同じパターンで語られています。この二つの召命物語に共通なのは、まずイエスのまなざしと呼びかけがあり、弟子たちの行為がそれに続くということでしょう。イエスに弟子入りするための不可欠の条件は、イエスのまなざしを意識し、その語りかけに耳を傾けることではないでしょうか。

わたしが、わたしが、といってあせるのではなく、心を静めてイエスのまなざしを受け止め、その語りかけに応じることです。二組の招かれた者たちの時を移さぬ対応は、イエスのまなざしと呼びかけからあふれでる力によるものです。降り注ぐイエスのまなざしと語りかけるイエスの言葉の力こそ、天の国、神の支配が近づいたしるしです。

19節の「わたしについてきなさい」は直訳すれば「さあ、わたしの後ろへ」となります。イエスに従う者たちにイエスが示す場は、彼の後に続くということです。「自分の十字架を担ってわたしの後に従わない者は、わたしにふさわしくない(10.38)」と弟子たちに説かれたイエスは、のちにペトロがこれを忘れてイエスに先立とうとしたとき、「サタンよ、わたしの後ろに(16.23)」と厳しくいましめられます。呼ばれた者たちはイエスの後ろに身を置いて、師を見つめ、その言葉に耳を傾ける歩みのなかで、イエスのように人間をとる漁師へと養成されてゆくのです。

おびただしい病人をいやす 23~25節


中風の者いやし

23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。

24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。

25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。


マタイは最初の弟子たちの召命と山上の説教(5~7章)の間に以上の数行を記して、読者がイエスのガリラヤ宣教活動の全体像を把握する一助とし、それは教えることと病気や患いをいやすことであったと述べています。このあと、著者は5~7章で山上の説教を、8~9章でいやしを中心とした10の奇跡物語(そのうち9つはいやしの奇跡)を展開します。

なお会堂の起源はさだかではありませんが、いけにえがささげられた唯一の神殿とはべつに、各地にあったユダヤ人の礼拝の場兼聖書および聖書に基づく教育の場で、現在でもユダヤ人居住地には必ず存在します。日本では東京と神戸にあります。新約聖書成立時代のローマ帝国内には、故国を離れて住むユダヤ人居住地が方々にあり、各地に建てられた会堂は千を超えたと言われています。使徒言行録やパウロの書簡に見られるように、教会の創立当初にはキリストの福音を宣教する格好の場でもありました。

24節の「諸会堂」と訳されているギリシア語は文字どおりには「彼らの諸会堂」と記されているので、少なくともマタイ福音書最終編集の時点では、マタイの関係したキリスト教共同体はユダヤ教と袂を分かっていたことが読み取れます。

2デカポリス 10の都市を意味します。紀元前64年にパレスチナがローマに占領された後、ヨルダン川西岸のスキトポリスを例外とし、ヨルダン川の東の都市から成るヘレニズム的都市連合で、ローマに従属しながらもおのおのかなりの自由を許されていました。これらの町にもユダヤ人居住地がありました。

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