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日本キリシタン物語
2.木村という平戸の侍
平戸教会にあるザビエルの像
ザビエルの宣教は鹿児島から始まったが、最古の教会は平戸である。
鹿児島では早くに禁教令が出され、それにしたがって宣教師たちはもう一度入ることが難しくなったので、信者の最初の小さな共同体が次第に消えてしまった。逆にザビエルの2番目の宣教地であった平戸では、ザビエルの時から現在まで信仰が生き続けている。
1550年の8月の終わりごろ、ザビエルは仲間と共に平戸に着いた。日本全国での宣教の計画の夢の実現を目指して内裏後奈良天皇の許可を得るために京都へ上る。ザビエルの他に *1コスメ・デ・トーレス神父、*2イルマン・ジョアン・フェルナンデス、鹿児島で洗礼を受けた*3 ベルナルドと他の3名の信徒であった。
平戸の港には、ペライラ・デ・ミランダのナウ船が錨(いかり)をおろしていた。船長も乗組員たちもザビエルたちを大いに歓迎したので、大名松浦隆信道可も同じようにする方が良いだろうと考え、家来の一人木村という侍にザビエルたちの宿の手配を頼んだ。
ザビエルは平戸には長く滞在しなかったが、1カ月間に木村とその家族に洗礼をさずけ、その影響が他の数人の人にも及んだ。その後ザビエルは計画を立て直し、自らフェルナンデスとベルナルドと共に都への旅を続け、トーレスは他の人と一緒に木村の家に平戸教会の最初の主任司祭として残った。
平戸教会
ここでは恐らく疑問を抱く人がいるであろう。「どうしてそんなに短い時間で種をまき、実ることができるように育てたのであろうか。」 私は、その疑問に答えることを歴史にゆだねる。
1600年、木村が洗礼を受けてから50年後に、長崎の被昇天の聖母教会でザビエルに宿をあたえた木村の孫 *注4 セバスチャン木村は、日本で最初の邦人司祭になり、1622年同じ長崎の西坂で殉教した。その3年前にもう一人の孫レオナルド木村は同じように殉教していて、他の2人の孫も殉教者となった。
ザビエルは種をまき、トーレス神父は自分に任された信者をよく育て、1553年に新しい宣教師*6バルタサル・ガゴ神父は 籠手田(こてだ)家の当主籠手田左衛門に洗礼をさずけ、信仰がその家族の知行であった度島(たくしま)、生月、根獅子などに広がった。種まく人が少なく、彼らには日本語などの知識が不足していたが、種はイエスの御言葉でそれを受け入れた人々の心が純粋であった。
ここで平戸を後にして、私たちはザビエルと共に旅を続ける。
- *1 コスメ・デ・トーレス神父 [1510-70年]
- イエズス会士。
スペインのバレンシアで生まれる。ラテン語の教師を勤めた後、司祭となってメキシコに渡る。その時フランシスコ会から入会を勧められているが、それを断り、後に従軍司祭としてスペイン艦隊の遠征に従軍した。
1546年、彼はモルッカ諸島(インドネシア)でザビエルに出会い、イエズス会に入会。1549年、ザビエルと共に、来日。
日本では、ザビエルと共に、平戸や山口で宣教活動を行い、ザビエルの離日後は、その志を継いで、20年にわたり日本で宣教を続けた。 - *注2 イルマン・ジョアン・フェルナンデス [1526-1567年]
- イエズス会士。
スペインで生まれ、リスボンの裕福な商人だった。1547年、イエズス会に入会し、ザビエルの一行に加わる。
ザビエルは、謙虚な彼を司祭にと思ったが、彼はその申し出を辞退する。日本では1日2回、ザビエルと2人で街頭に立ち、ザビエルの通訳や、教理書を読み上げたりして、福音宣教に力を注いだ。
彼は、日本で修道士としての生涯をささげた。 - *3 ベルナルド [生年不詳-1557年]
- 薩摩出身のイエズス会士。
1549年、鹿児島で受洗。最初の日本人イエズス会士。
ザビエルの忠実な同伴者として、平戸、山口、都へ旅をした。
1651年、ザビエルと共にゴアに渡り、その後ヨーロッパに行く。
1653年、リヨンでイエズス会に入会。ポルトガルのコインブラで死去。 - *4 セバスチャン木村 [1565-1622年]
- イエズス会士。日本二百五福者の一人。
1550年、平戸でザビエルから洗礼を受けた宿主木村氏の孫。
12歳から同宿として、教会に奉仕し、1580年、有馬のセミナリオに入学し、1584年にイエズス会に入会する。その後、都から、平戸、島原半島と巡り、天草コレジオで学び、1595年神学の勉強のためにマカオに渡る。1598年、副助祭となり、1600年に帰国し、助祭となる。
1601年、長崎で叙階され、その後九州で働き、1621年6月、密告により長崎で逮捕され、大村の鈴田の牢に入れられる。長崎の西坂で、火あぶりの刑によって殉教。 - *5 レオナルド木村 [1574-1619年]
- イエズス会士。日本二百五福者の一人。
1550年、平戸でザビエルから洗礼を受けた宿主木村氏の孫。
長崎で生まれる。13歳で同宿として、教会に仕え、1602年長崎の修練院に入る。
イエズス会の目録には「画家および銅版彫刻師」と記されている。
1615年に、迫害下の山陽、山陰で宣教。翌年12月、明石掃部事件に伴い長崎で捕らえられる。長崎で、村山徳庵らと共に火責めによって殉教。 - *6 バルタサル・ガゴ神父 [1515-1583年]
- イエズス会士。ポルトガルのリスボンに生まれ、1546年にイエズス会に入会。
1548年にインドに渡り、1552年日本に派遣される。
鹿児島、豊後府内を経て、山口に赴く。1553年に再び府内に戻り、翌1554年には豊後朽網(くたみ)地方で宣教。1555年に平戸、1558年に博多に赴任する。健康を害し、1560年にインドに戻った。ゴアで死去。