マルコで祈る
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弟子たちを戒められた
マルコ8.30
イエスはペトロをほめたりせず、
かえってみなを「戒める」。
まるで悪霊どもに黙れと命じるかのようである。
どうして、
水をさすようなことをするのだろうか。
燃え立った火を消すつもりなのだろうか。
確かに、
ペトロが言ったことは正しい。
しかし真実の全体を言い表しているわけではない。
間違いがそこに含まれている。
つまりイエスは、
ペトロが宗教的に期待していたような、
「あの」キリストではないのだ。
神の約束を実現する「ある一人の」キリスト{1.1)、
ペトロが知らないキリストなのである。
目が見えない人は2段階に分けていやされた。
弟子たちはまだ非常に人間的な目でしかキリストを見ていない。
「人が見えます。
木のようですが、
歩いているのがわかります。」
わたしたちが本当に見えるようになることを願わせたいからだ。
そうなってから、
いやしのもう一つの段階へと進むことになる。
そのときわたしたちはイエスを木の上に見る。
人の子はそこへ向かって歩き始めた。
もう後にもどることはないだろう。
『思い起こし、物語れ』上 より