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マルコで祈る

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 オリーブ



かならず…することになっている

マルコ8.31


いっそう深い理解とは、
イエスのただ一つの「氏名」(「かならず…する」)であり、
この使命によって、
神が愛の神でると明らかになるであろう。
だれかを愛しているなら、
愛する人が苦しんでいる悪を、
一緒になって苦しまないではいられないものだ。
「からなず…することになっている」とは、
倫理や道徳の意味での義務ではなく、
一種の自然な義務、
非常に深い意味での義務である。

主はわたしたちのために「かならず」生命を与える「ことになっている」。
それはあたかも、
火が暖め、
雨がぬらし、
太陽が照らすようなものである。
そうしないではいられないのである。
そのうえ「かならず…することになっている」というのは、
神の約束を連想させる。

神の約束は実現しないではおかない。
そしてなにより、
イエスの受難と結ばれている。
とくにルカ福音書ではそうだ。
イエスの受難に、
「苦しむしもべ」を描く聖書の言葉が実現しているのだ。


『思い起こし、物語れ』上 より


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