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マルコで祈る

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 ススキとコスモス



あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている

マルコ8.33


「わたしの思いは、
あなたたちの思いと異なり、
わたしの道はあなたたちの道と異なる」(イザヤ55.8)
見分ける(識別する)のは実にむずかしい。
イエスは「み言葉」にもとづいた尺度を与えて、
わたしたちの理解力を照らす。
こうしてわたしたちの意志が抵抗する場合にも、
祈りによって克服できる。

神のこととは、
生命を与える愛であり、
貧しさ、
侮辱や謙遜をとおして、
神から見捨てられたと見えるほどの死をくぐって、
復活へと導く。
人間のこととは、
自分を救おうとする自己中心主義(エゴイズム)であり、
所有したい、
権力をふるいたい、
見えを張りたいという欲をとおして、
死へと導く。
この二つの道は互いにまったく異なる道である。
だからわたしたちが「善意」で、
「よい目的のために」することでも、
イエスは神の国を妨げる誘惑として退けることがある。

このところから、
弟子の解放が始まる。
自己中心主義から自由になるという真の悪魔払いだ。
み言葉はわたしたちのうちに、
そして教会の中でこの悪魔払いを絶えることなく続けている。
イエスにとって苦労の始まりだ。
このあと、
もはや奇跡をおこなわない。
ただ耳が聞こえず口が利けない人と、
目が見えない人をいやすのみである。
そして十字架で死ぬことになる。
そのときにわたしたちの心のかたくなさが解け、
主を認めるだろう。
こうして「み言葉」が余すところなく実現するのだ。


『思い起こし、物語れ』上 より


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