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新世紀ルーツへの巡礼
1--1 アルベリオーネ神父の生まれ育った環境
自分の歴史で祈る
みなさまもこの21世紀という新しい世紀に自分のルーツ、世界にたった一つしかないあなたという“一粒のシード”をアルベリオーネ神父と共に祈ってみませんか。
「自分のルーツをたどりながら祈る」とは、自分がいただいている世界にたった一つしかない貴重なシードを発見しながら祈ると言うことです。別の言葉で表現すると、「自分史で祈る」、「私という人生の本で祈る!」ということです。
この私の人生の本の中に書かれている一つひとつのことは、私が書いたものであると同時に神様が一緒に書いてくださったものです。そして、そのルーツには、なににもまして神が私の中においてくださった“一粒のシード”があるのです。
生涯、私たちは徐々に成長発達し、変化してやまないのが自分自身です。今回は、ラウダーテの「ルーツへの巡礼」と共に、今思い出させていただくもので、祈っていくのはどうでしょうか。
つまり、自分が今までに書きとめたもの(日誌など)、写真(アルバム)、家族との語らいの中で知ること、そこから浮かび上がってくる気持ち、イメージ、言葉……などの、いくつかに焦点をあてながら祈ってみるのです。
一般に、若い年齢で自分史を書いたり、祈ったりというのは、早すぎると言われます。しかし、今まで生きてきた人生をこの機会に振り返り、受け入れ、今の自分を新たにします。これからの人生を自分らしく生きるよう、悔いの残らぬ形で挑戦したい。このような願いをこめて自分史をみるなら、若い年齢ということは、かえってプラスであるとも言えます。
また、つねに変化してやまない私たちとすれば、今からはじめて、ことあるごとに自分史を書き続け、祈ることも出来ます。
書いても書いても書ききれないほどの深まりを持つ自分という存在であるなら、祈りも同じ深まりをもつことでしょう。
私の家族の固有の歴史は、同時に私の固有の歴史を形作るものです。これは止まってしまうものでなく、“~ing”進行形、しかも現在進行形です。親も、そして 子も……。
「両親の生き方と子供のエネルギーとがぶつかりながら、もつれながら、固有の家族の歴史がつくられます。」
(『あけぼの』 1990年5月号 作家・矢崎藍氏の言葉より )
私は一体どんな固有の歴史をもっているのかな、ということを、現在の私の目で見て、それで祈ることをお勧めしたいのです。
かつて、キリスト者が、イエス・キリストを思い出し、神の愛は、抽象的な歴史でなく、具体的な罪の歴史の中に働いたのだ! ということを系図をもって表現しました。
系図そのものは、そっけなく、味気なく書きつらねられていますが、そこには、書いた人の感動がありました。つまり、悲惨な歴史の状態、罪があり、侵略があり、堕落がある本当に乱れた歴史が語られ、近親相姦(きんしんそうかん)、裏切り、売春、殺害などがキリストの系図のなかに流れているのだ! と、マタイ(新約-マタイ福音書の著者)は言うのです。
どんな歴史であったとしても、神はずっと愛し、誓いに誠実で、ずっと働き続けて来られたのです。マタイは神の愛の誠実さと、神の力を語ります。
そんなマタイのとらえたイエスの姿を受け取って、そのイエスに、私たちの歴史を結びつけ、意義ずけていく時に、私たちもマタイと同じようにイエスを受け取っていけるようになると思います。
アルベリオーネ神父にとってもそうでした。彼は自分の人生を意味ある時(聖パウロ会創立40周年の時)に振り返り、「神のいつくしみの歴史と面目ない歴史」の「二重の歴史」であると言っています。
あなたも自分のルーツをたどりながら祈り、それを新しい世紀の出発点とするのはいかがでしょうか。
今回、アルベリオーネ神父を育み育てた環境についてご紹介しましたが、あなたを育て、育んだ環境はどんなだったかをつづってみられませんか。