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新世紀ルーツへの巡礼
ヤコボ・アルベリオーネ司祭へ
聖コスマとダミアノ教会
ケラスコから数キロ離れたところにワインで有名なナルツォーレの村(クネオ県、アルバ教区)があります。この村は、タナロ川のほとりにあり、当時の人口は約2500人でした。ここの人々は、ピエモンテ州の中でも特別に商業にたけているので有名でした。
ティモテオの生家 |
ジャッカルド神父 |
アルベリオーネ神父がパウロ会を創立するときに、最初に彼に従った少年ジュゼッペ・ジャッカルド(後にティモテオ・ジャッカルドと呼ばれる)と出会ったのは、ナルツォーレにある聖ベルナルド教会に助任司祭として派遣されていたときでした。
「あの決定的な夜」を過ごしたときから、アルベリオーネ神父の念願は、いつもやがて創立しようとしているパウロ家族のことがあったので、人材のことを心がけていました。「人材は若い男女を捜して、これを養成することによって準備しなければならない」と考えていました。
アルベリオーネ神父は、ナルツォーレでジュゼッペ・ジャッカルドと出会い、彼をまったく特別なやり方で育成しました。
彼は最初のパウロ会司祭となり、初誓願のときにはパウロ家族にとっては意味深いティモテオの名前が与えられました。彼は教会で「福者」として認められ、聖人の名にあげられた最初のパウロ会士です。
アルベリオーネ神父は、「パウロ家族においてティモテオ師は、心と魂のようでした。みなが彼から愛されたのを知っているように、プリモ・マエストロ(第一の先生という意味で、アルベリオーネ神父はこう呼ばれていた)と全会員は、ティモテオ師に大いなる感謝をささげなければならないのです。」と言っています。
アルベリオーネ神父がティモテオ・ジャッカルド神父について書いていることを紹介しましょう。
ティモテオ・ジャッカルドは、1896年1月13日にクネオ県のナルツォーレに生まれ、その夜、洗礼の恵みを受けました。洗礼盤の前で、ジュゼッベと名づけられました。彼は洗礼式のすぐあと聖マリアに奉献され、*1カルメルの聖母のスカプラリオを身につけました。
私は1908年3月、従順により助任司祭としてナルツォーレに派遣されました。主任司祭は老齢で病身でした。そのため、自分の職務は少ししか果たせませんでした。
私は、誠にキリスト者らしい心を持ついくつかの家族の中でも、ことにジャッカルド家に注目しました。教会によく出入りし、聖なる儀式を愛し、質素ながら整った身なりで、誠実に働くこの家族の人たちは、みなに尊敬され、村では大切な場をしめていました。
まもなく私は、教会に来る子どもたちの中でも、小さなジュゼッペ・ジャッカルドに目をとめました。その信心深さや年齢を上まわる真剣さ、向学心、陽気で無邪気な活発さが目立ちました。彼の思慮ぶかい質問や分別ある応答、あらゆる勧めへの対応は印象的でした。短期間で聖体拝領をするようになり、これが日課となりました。毎朝、ミサに仕え、交流するために一人の仲間(今では、アフリカの熱心な宣教者)といっしょに、まだ扉が開かないうちから教会に来ていました。
召命募集のためにマリア会の一人の修道士が教区にやって来たとき、賢いジュゼッペはすぐさま、有望視された子どもたちの中に数えられました。
彼もその両親も同意したのですが、摂理は彼を他の方へと導いたのです。こうして彼は、その年の秋、アルバの神学校に入ったのでした。そこの中等課程で、彼は、信心、勉学、繊細さ、規律の点でいつもことさらひいでていました。
……上長者たちは、しばしば彼のうちに聖霊の働きを見、また特に評議会の中で、それに注目するようになったのです。彼は、その実直さ、思慮分別、優しい態度、譲歩、すべての人にどんな奉仕でもしようとする態度のゆえに上長者たちからも仲間たちからも愛されていました。
哲学課程および神学課程の中では確かに優等生で、いつも表彰され、仲間の間ではいつも面倒な仕事が彼に委ねられました。霊的指導者に開かれ、非常に優しい彼は、聖なる対話をはずませ、人を教化したのでした。
1919年、彼は、聖パウロ会をつくるために集められた初期の少年たちの先生として入会しました。彼はずっと「シニョール・マエストロ(敬うべき先生の意味)」と呼ばれ、内外の人たちから愛され、尊敬されました。人々は彼のことばに耳を傾け、彼に従ったのです。
ティモテオ・ジャッカルドは、1948年、1月24日、彼の愛した聖母の土曜日にローマにて、主への自分の生涯の奉献を新たにした後に、息を引き取りました。
1989年、教会は彼を「福者」として認め、10月22日を記念日としたのです。
神よ、あなたは福者ティモテオ・ジャッカルド神父の生涯とその使徒職を、みことばの光と聖体の糧をもって導かれました。
彼の取り次ぎによって、
社会的コミュニケーションの手段が、
教会と社会の中で正しく用いられ、
福音の教えの伝達に
大いに役にたつものとなりますように。
(「集会祈願」から)
- *1
- 1251年、聖母はカルメル会の聖シモン・ストックにご出現になり、リボンでつながっている2つの布を彼にしめして言われました。「これを身につける人は、私の特別の保護と助けを受けるでしょう。この2つの布は、聖母の聖衣といって、スカプラリオと呼ばれています。そのときから、スカプラリオを身に着ける習慣が広がりました。
注釈: