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新世紀ルーツへの巡礼
全世界に行きなさい
ボアノ神父の証言2
インタビューをしているのは、聖パウロ会会員ロアッタ神父です。
ボアノ神父:
アルベリオーネ神父様は、1928年から1929年にかけて、食卓でも世界地図の話をしておられました。出版をもって、世界中にどれだけのことができるであろうかと話されることがしばしばでした。
ロアッタ神父:
そのころはもう司祭に叙階されていらっしゃいましたね。
ボアノ神父:
はい、私は1928年3月24日に叙階されました。
ロアッタ神父:
初期のパウロ的霊性がどのように現れていたか、祈り、指針、霊的なことなど、何かお話し願います。
ボアノ神父:
はい。毎日、聖パウロに向かうコロンチナを唱えていました。
プリモ・マエストロ(アルベリオーネ神父)は、この祈りに、特別な恵み、特に召命に関する恵みをかけておられました。
さらに、修道院建築の間中いつも唱えてていた祈りは、「『あなたたちは すずめにまさる』と言われた主よ、私たちに、私たちの住み家をお与えください」です。
また、限りない困難にあたっては聖ヨセフに嘆願していました。その他、『契約の祈り』には、異常な重要性を持たせておられました。
その他一般に、黙想のテーマは、「聖人になること」、「罪を避けること」、「四終」、「謙遜のうちにいること」。
また彼は時として、自分は最も重大な罪人であると言明しておられました。
ロアッタ神父:
聖パウロが、そのように言っています。
ボアノ神父:
そして、黙想と信心業については、頑固に一歩も譲りませんでした。
ロアッタ神父:
それについては、他の神父様も証言しておられます。
ボアノ神父:
四つの車輪についても 強調しておられました。信心、勉学、使徒職、清貧。このことを私たちは「四つのS」と言っていました。
ロアッタ神父:
どうして?
ボアノ神父:
Santita(聖性)、Studio(勉学)、Stampa(出版)、Soldi (金銭)
ロアッタ神父:
いつも熱心でしたね。では次にブラジルへ参りましょう。
ボアノ神父:
いや、ちょっと待ってください。まだその前に言いたいことがあります。
1930年、私は100人ほどの少年たちのグループの係を仰せつかりました。
ロアッタ神父:
そう覚えています。あのころは、年齢によって4つのグループがあり、私は最年長のグループにいました。
ボアノ神父:
おおロアッタ神父様、あなたは勉強中よく居眠りなさっていましたね、覚えていますよ。
ロアッタ神父:
いやー、からかわないでください。健康に良好でしたよ。それから……?
ボアノ神父:
1931年、アルベリオーネ神父は私を、ヴェローナに修道院を開設するために派遣なさいました。
ロアッタ神父:
そうでしたか。存じませんでした。
ボアノ神父:
でもね、結局、いろんな困難があって、それを実現することはできませんでした。そこで私は、ある修道院に行きました。その間、ある神父様がある日、私と交替するためにおいでになりました。しかもアルベリオーネ神父の手紙をたずさえて。これです。
ロアッタ神父:
拝見してもよろしいでしょうか。
ヴェローナから、そちらの情況を私に書き送ってくれたらすぐに、あなたはどこへ行くべきかを言いましょう。
アルバか、ローマか、あるいは他の場所か……。
いずこであろうとも、神のみ旨を行なう用意をしていなさい。
私は、最近の旅の間で得た新しい功徳にあふれるあなたに会いたいと、切に望んでいます。
アメリカを好きですか?……あなたを祝福します」
ボアノ神父:
それからアルバに戻り、さっそく彼に尋ねました。
「旅費は?」
「ない。」
「では、ヴェローナの某弁護士のところに行ってもいいでしょうか?」
「よろしい。」
ということになり、マエストラ・テクラ(シスター テクラ・メルロ)から900リレもらって出発しました。
ヴェローナの某氏は、1万リレ、私にくださいました。 それは莫大な金額だったのです。
私はそれであらゆる必要品を購入し、旅費も支払い、ブラジルに着いてもなおまだ3千リレ残っていました。
ローマでは、アルゼンチンに行くため トロッソ神父が出発の準備をしていました。1931年8月6日、私たちは一緒にジェノバから出航し、同月19日にサントス港に着きました。サンパウロ市に翌8月20日に着きました。
ロアッタ神父:
8月20日は、重要な日付ですね。1914年8月20日、1931年8月20日。サンパウロでは何からおはじめになりましたか?
ボアノ神父:
まず、あちらではカプチン会の方たちに親切に迎えられました。それから間もなく、彼らの手から「鍵」という週刊紙を引き受けましたが、それは一時大変な困難に陥りました。
それからある日、トロッソ神父と一緒に、新しい宣教地の情況について話しながら郊外を散歩していたところ、「貸家」と書かれた一軒の家が目にとまりました。どんなものか知りたいと思って関わっているうちに、結局、その家と納屋とを借りることにしました。
ロアッタ神父:
そうそう、1963年、私がブラジルにいたとき、管区館を建てるために土地を探していると、その同じ町内に、売り家が一軒見つかりました。庭があって手ごろの広さの家でした。これを知った兄弟が、ぜひこの家を買うように、そこは創設の地であると教えてくれました。
「原点に戻る!」との感嘆の声があがったものです。今ではそこに、ブラジルの管区館があり、ラジオ・センターがあります。いかにも、この通りは、私たちのためにすでに予定されていたかのようですね。
はじめ、どのくらいの期間そこにおいでになったのですか?
ボアノ神父:
1年です。
ロアッタ神父:
初期のご苦労が忍ばれます。
ところで、無一文になってベトレヘムからはじめるために、残金の500リレまでアルベリオーネ神父に返送なさったという話は本当ですか?
ボアノ神父:
500リレではありませんよ。3000リレです。私はあちらに着くとすぐ、アルベリオーネ神父に手紙を書きました。
「全部支払いましたが、まだ手元に3000リレあります。」
すると「私に送ってください。そうして、神の栄光のためにはじめることができるでしょう」という返事がきました。
ですから、返金しましたよ。500リレというのは、それから数カ月後着いたマラッツァ神父の話です。
彼にも旅費など使った後に、500リレ残ったのです。もちろん彼も返金しました。
こんなふうにして私たちは、“きれいさっぱり”となってスタートしたわけです。
ロアッタ神父:
どのくらいブラジルに滞在なさったのですか?
ボアノ神父:
1935年までですが、最後の6カ月は療養所にいました。なかなか治らないのでイタリアに戻りました。マラッツァ神父も同じでした。
ロアッタ神父:
身をもって代価をお払いになったのですね。
ボアノ神父:
できることを、できる限りやりはじめただけのことです。
ロアッタ神父:
だがどういうわけでしょうか。アルベリオーネ神父は言っておられましたね、ブラジルでは全て用意ができている、と?
ボアノ神父:
それはこういうことでしょう。ブラジルには アルバ出身の司祭が一人いました。そこでアルベリオーネ神父は彼に手紙を書いて、私たちが行くから何とか助けてやってくれるようお頼みになったのです。けれども私たちはとうとう一度もそれらしい人には お目にかかりませんでした。彼は、ブラジルでもずっと奥地の方で、サンパウロ市からはよほど遠い所にいらっしゃったのだろうと思います。
ロアッタ神父:
トロッソ神父は、どのくらいブラジルにとどまられましたか?
ボアノ神父:
約1カ月です。それからすぐ 彼の行くべき定めの地ブエノス・アイレスへ出発しました。
彼も、そこで健康を損ねてイタリアに戻りましたが、回復して再びブラジルに行きました。そのころ私はもうすっかり弱っていましたので、そこを引き上げることにしていました。
ロアッタ神父:
ではそれからどちらへ?
ボアノ神父:
シシリーのメッシーナ、カターニアです。それから7年間そこにいました。
ロアッタ神父:
ブラジルを再び訪れたいとは?
ボアノ神父:
申すまでもありません。サンパウロ市やパウロ家の事業を、喜んで見たいものですが、どうしてできますか?
ロアッタ神父:
創立50周年(1931年~1981年)があります。
ボアノ神父:
まあ、ずい分先のことです。まだ6年もあります。私はもう年です。
ロアッタ神父:
その年、神父様は77歳でしょうね。
ヨハネ23世教皇は、まさにその年齢で教皇になられました。ということは、神父様もその年で、ブラジル旅行がおできになるのではないか? ということです。
アルベリオーネ神父を信じるなら、最高の名医は神であるということですね。神の御手のうちに身を委ねましょう。