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新世紀ルーツへの巡礼
創立の歩みの中で
ジョバンニ・キャヴァリーノ神父の証言
アルバの神学校
ロアッタ神父:
神父様が、私たちの修道会の初期の歩みに参加なさるようになったいきさつはどんなものでしたか?
キャヴァリーノ神父:
1920年の夏、二十歳のときでした。
神学校の学年度が終わったとき、私たちの霊的司祭であったアルベリオーネ神父と、私の将来について長時間お話ししました。そのとき最後に、「君にとってよりよい道は、私のところに来ることだと思う。うまくいくにちがいない。」と言われ、私はどぎまぎしてしまいました。
ロアッタ神父:
一度も、そんなことをお考えになったことはおありになりませんでしたか?
キャヴァリーノ神父:
いや、一度も考えたことはありませんでしたね。しかし、彼に対しては、大いなる尊敬の念を抱いていました。もうひとりの聖ドン・ボスコのようにさえ思っていました。
彼の信心は格別でしたね。それにしても、あの招きははたして神様が彼にささやいてくださったものかどうか、私は当惑の色を隠しきれませんでした。すると彼は、「今は、家族のところに、夏休みをしに行っていらっしゃい。終わったらできるだけ早く帰っていらっしゃい」と言ってくれました。
それからすぐ、故郷の父のもとに帰り、さっそく自分のことを話しました。すると父は、「アルベリオーネ神父! 私も知っている。おまえ、二十歳だな。よーく考えなさい。もし、いや……かなわぬ、ということになっても、わしにこぼしに来てはならんぞ、いいかな。」と言いました。
ロアッタ神父:
その夏休みにどうなさいましたか?
キャヴァリーノ神父:
考え続けましたよ。惹かれるが決めかねてね。それから、アルベリオーネ神父に手紙を書きました。「私には、暗い森の中にはいることのように思えます。まったくとまどっています。お手紙ください。」
ロアッタ神父:
返事がありましたか?
キャヴァリーノ神父:
はい、書留で。もう50年も前のことですが、今でもほとんど原文のまま覚えています。
「親愛なるジョバンニ君、私は祈り、よく考えました。君に示唆した道は、主が望まれる道であると私は確信しています。なるべく早く戻っていらっしゃい。きっと君は喜ぶでしょう。神のご意志です(これにはアンダーラインが2本も引いてありました)。いらっしゃい。」
「神のご意志」ということばが、その手紙の中に三回もあったことを覚えています。ショックでした。それから、私の主任司祭にこのことを話しました。
「われらのジョバンニ・キャヴァリーノ神学生は、明日、印刷学校に向けて出発します。彼が満足できるように祈りましょう。」
ロアッタ神父:
神父様、今、実質的に満足だったということがおできになりますか?
キャヴァリーノ神父:
はい、満足……もし今アルベリオーネ神父が、「神のご意志」というあの言葉をくり返されるなら、「はい、用意ができております。参ります。」と言うでしょうね。
あのときは確かに、私も当惑と苦痛を覚えました。一方は神学校生活、それは大変うまく整っており、勉強するだけ。ところがもう一方は印刷学校もかけ出したばかり。しかし、まさに犠牲のかずかずがあったからこそ満足できたと言えるのです。
ロアッタ神父:
教区司祭にならなかったことを、残念にはお思いになりませんでしたか?
キャヴァリーノ神父:
いいえ、決して。唯一の嘆きは、アルベリオーネ神父の理想によりよく答えることができなかったということです。私にはもう少し深い教養があって、執筆したり、使徒的な著作がうまくできたりしたならば、きっと……。私も勉強には強い傾きを持っていました。
神学校ではうまくいってました。そのうえ、亡くなった父の戒めをいつも肝に銘じていました。「ジョバンニ、おまえは勉強しているな。だが、わしはおまえよりもうんと学んでおるぞ(父は商人でした)。がんばりなさい。」
父のこのことばを決して忘れはしませんでしたが、とにかく、アルベリオーネ神父のもとで、最初の日から彼に与えられた務めを果たして彼に従ってきました。
ロアッタ神父:
正確に言えば、いつ入会なさったのですか?
キャヴァリーノ神父:
1920年7月上旬
ロアッタ神父:
神学校から転校して来られた他の神学生たちとごいっしょでしたか?
キャヴァリーノ神父:
いいえ、別に来ました。他の人にも私と同様な示唆を与えておられたとは、ちっとも知りませんでした。
ロアッタ神父:
入会なさるとき、アルベリオーネ神父のご計画について、はっきりとした概念をお持ちでしたか? 事業の発展を、何らかの形で想像することがおできになりましたか?
キャヴァリーノ神父:
いいえ、どんな事になるのか、夢にも想像がつきませんでした。み摂理が、照らし、守ってくださったのです。しかしまた、同僚の間に、実に寛大で勇気のある人々がいたのも見のがせませんね。