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新世紀ルーツへの巡礼
神との契約
手形中の手形
神の人というのはこういうものだ。福音を文字どおりに受け取ることを知っている。と同時に、万事が自分の努力にかかっているかのように一生懸命する。
この種のエピソードを話しはじめたらきりがない。あらゆるエピソードの底にあり、他を代表するものに、日付こそ正確にわからないが、ひとつの書類がある。確かにその紙片が書かれたと思われる時期に、創立されて間もないパウロ家族は万事に不足していた。しかし、アルベリオーネ神父は、最も忠実なジャッカルド神父、つまり当時会計という重い荷を負っていたこの「まったきパウロ会会員」と一緒に、神への信頼をつくした。
そして、じつに美しくもほほえましい単純さと、神の言葉の上にたって崩れることを知らない信仰の偉大さをもって、一葉の紙片の上のほうに約束手形と書き記した。そして、その下に、「何よりもまず、神の国とその義を求めよ」と、そして、2人が、アルベリオーネ・ジャコモ神父、ジャッカルド・ティモテオ神父と署名した。
さらにその下に、イエスの約束だから当然のこととして、アルベリオーネ神父は「これらのものはみな加えて与えられる」という福音の言葉も書いている。
ここで、また署名だが、このたびは裏書人として、至聖三位一体のみ名が ― イエスキリスト・御父・聖霊と書かれた。
人間の常識でいけば、狂気の沙汰、ナンセンスである。信仰の次元で見れば、限界を知らないこの信頼の態度を前に言葉を失う思いである。「神とこの共同体の間に結ばれた契約」とある人がこれを定義した。
そして、神はご自分のしもべの信頼を裏切ることはなかった。この信仰の人がやり遂げたいちばん驚くべき最も重要な企画は、どれもきわめて困難な時期に誕生しているといえよう。そして、神の摂理は契約を忠実に履行したのである。
お金が緊迫して必要なときもあった。アルベリオーネ神父の子ども1人が病気で、しかも治って自分の使命を果たすことが有益なときもあった。また第2次世界大戦の間に、アルベリオーネ神父が自分の子どもが全員無事であるように願ったときもあった。いつでも ― 例外なく ― この信頼は裏切られることはなかった。
主は忠実である。信頼することを知る必要がある。主の愛に対して、不信という最大の侮辱をかけないことである。