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新世紀ルーツへの巡礼

目次

平和のないクリスマス

印刷工場が燃える

ティモテオ・ジャッカルド神父の1918年12月26日の日記から

幼子イエス

夜中の3時に、アルベリオーネ神父の大声がしました。悲しい、胸をえぐるような、せっぱつまった声でした。「志願者、監督、先生、ピアツァ(広場)」

印刷工場が火事だったのです。受付係の娘さんは火事に気づいて、マッツィーニ通りのほうへ向けて走り、叫びました。ボラティの奥さんは飛び起きて、(修道院の)ベルを2回鳴らしました。アルベリオーネ神父は、ズボン下の上に、ボタンのはずれたスータンだけをつけ、帽子をかぶり、素足のまま靴をはいて、現場にすっ飛んで行きました。その後を若者たちが、追いかけました。

最初にアルベリオーネ神父は、火事に十字を切り、続いて、まわりで働いていた人たちに祝福を与えました。火は、機械工が使っているストーブのまわりに燃え広がっていきました。

そこには紙くず、活字台、たくさんの木材が置いてありました。『ガゼッタ・ディ・アルバ』誌の第3、4頁のカレンダーが、テーブルの上に置いてありました。鉛の植字資材が溶けて、煙になっていました。

印刷工場の部屋は、すっかりこの黒い、濃い、分厚い、むんむんと暑い煙でもくもくとしていました。そこへ一歩でも踏み込む者は、火傷をし、窒息しそうでした。いろいろやってみる者がいましたが、だめでした。神学の先生(アルベリオーネ神父)は、火元がどこか、どのくらい燃え広がっているか気づかずに、事務所まで入りこみましたが、気を失いかけたので、戻って来ました。

もう一度ためしてみて、今度は1つの窓を開けることができました。ほっと一息して、植字部屋に入っていきました。ブルース(作業衣)は、まだ着ていませんでした。息苦しい煙の中を紙倉庫に入ろうとして、植字台のところまで行きました。活字棚を倒し、ドアのガラスを割って、やっと息ができました。そのドアを開けようとしましたが、鍵がかかっていて、なかなか開きませんでした。まっ先に手元に触れた1冊の本を使ってみましたが、ドアを開けることは、できませんでした。片方の靴をぬいで、やってみましたが、これもだめでした。倒れた時にぶっつけた膝が大変痛んできました。しかし、1つの小箱を使ってドアを開けることが出来ました。

息を吸って紙倉庫に入り、もう1枚の窓ガラスを割りました。どうしても外に出なければならなくなって、中庭に出てきました。

彼(アルベリオーネ神父)の人相は変わり、顔と目は腫れ上がり、唇と口のまわりは吹き出した黒っぽいつばでぬれていました。受付の息子である中尉に、押し出されて2度も助けられました。その時、神父は煙に巻かれて気を失いかけていたのです。受付係も、1回は神父の首をつかみました。神父は、息苦しい様子でした。声はうわずっていましたが、精神は、しっかりとしていました。

確かに、神父は病弱な生命を危険にさらしていました。彼を導き、救い出したのは聖パウロでした。弁護士のパリウッチ、受付係マネラさん、カトリック火災保険会社の人は、このような危険に身をさらす神父を非難しました。

さて、若者たちは煙が出ている所を見ると、現場で見たものを手に取り、印刷工場のポンプと庭のポンプから水を汲んでかけました。暗かったのでたいして仕事の成果があがらず、電気もつけることはできませんでした。電気をつければ、もっと悪いことが起こるかも知れないと思ったからです。

中尉さんは、身内の人の反対を押し切って水を運び、水をかけようとして中まで入って行きました。この時は、紙倉庫の状態がまだわかりませんでした。まずアルベリオーネ神父が、次に何人かの若者がそこに入って行き、窓ガラスを開けました。

まず敬愛する父(アルベリオーネ神父)は、何よりも聖パウロに信頼するようにと、私たちに勧めました。1人の青年が修道院へかけ戻りました。仲間たちは立ち上がり、聖堂へ祈りに行きました。

パウロ

紙倉庫の無事が確かめられると、ほっとしました。聖パウロが守ってくれたのです。延焼を防ぐことができました。……

1 人の青年が、ほかの人たちをほっとさせ、主に感謝するために修道院に帰りました。現場に残った青年たちは、現場の状況を見たあと、修道院へ戻りました。アルベリオーネ神父は、おいしいブドウ酒をコップに半分注ぎ、飲むようにと私たちに差し出しました。2人の青年が交代で印刷工場を見張り、他の人は寝に行きました。

目覚ましに、アルベリオーネ神父は、見張りのために起きていた人に、コーヒーを飲ませました。祈りの後で、カトリックの保険会社の人と手続きが取られ、事件について、損害について、たくさん話されました。私たちは、万事をうまく運んでくださった神、アルベリオーネ神父のいのちを救ってくださった神をたたえました。

ところがアルベリオーネ神父は、息切れと、その上、煙を吸い込んだため、毒性の強い内臓をおかす鉛や鈴、アンチモンの煙で、喉頭(こうとう)と食道とを痛めていました。さらに、膝の痛みのために、朝まで気分が悪くて、眠ることができませんでした。そのため、司教座聖堂での奉仕をあきらめねばなりませんでした。それで司教ミサは、この年行われませんでした。敬愛する父は、1日中、寝ていて晩までなにも食べませんでした。

夕方、ペケニーノの役目は、印刷工場のドアを閉めることでした。入口の門に鍵をかけて、機械部屋のドアが閉められているかどうか調べに行きました。なぜか、途中まで行って引き返しまいました。そのため、ドアは開けっ放しになっていたのです。いつもは、この内部のドアも閉めていましたが、この日は、このドアが、開けたままになっていたので、救いの安全弁になりました。

損害は2、3千リラにのぼりました。印刷工場は、まっ黒くなって盗賊の住みかみたいでした。今日は何かの片付け作業をします。ガゼッタ・ディ・アルバ誌を出せるかどうか、パンフレットを印刷するかどうか、火災保険が得られるかどうか、わかりません。すべては、神のみ手の中にあります。

実りは?
 昨日、敬愛する父は、私たちのより大きな善のためにすべてをなし、許してくださる神のみ摂理に全く信頼を置くようにと、私たちに勧めてくださいました。彼はこう言われました。「これは、ひとつの試練です。神は私たちを愛しておられますので、試練を送られます。

私たちは神に感謝しましょう。本会がこれほどまでにしっかりした土台をすえたことをも、神に感謝しましょう。」

それから「コットレンゴは、3回火事にあいました。私たちは、1回か2回だけしか災害にあっていません。若者も家族も大きな災難をとおして、何かを学ぶ必要があります。私たちは、もっと勤勉になるため、なによりもまず学ばねばなりません。

すべての災難は、決して避けられるものではありませんが、せめて私たちの方では、その原因を取り除けるでしょう。」

それから今朝、彼は黙想で、こう言われました。「私としては、しばらくしたら、次のことを言えるようになりたいものです。

幼子イエス

すなわち、本会で、火事がなかったとしたら、精神の刷新はなかったでしょう。実に火は浄めるものです。それはひとつの試練です。悪魔は私たちを、ひどく憎んで、私たちの修道院を、残らず灰にしてしまいたいと思っています。神の許可があれば、悪魔は暴れます。火事は私たちの怠惰や罪の罰とみなしましょう。これはひとつの教訓です。/p>

母親が、気まぐれな子どもが倒れるのを放っておくのは、自分の手をつかませるためですが、この母親と同じように、神も私たちになさいます。

私たちは、自分自身を頼るために、神から離れていたのです。それで、仕事のことでも損害のことでも決して気をおとしてはいけません。仕事のことなら、別に心配しなくてもよいのです。組み版をしようが、物を片付けようが、著述しようが、保険会社と交渉しようが、私たちは神のしもべですから、別にかまいません。損害は、たとえ印刷工場が焼け落ちたとしても、主にとっては大したことではありません。神は、たくさんのお金を持っておられます。それに、ましてや、それほど重大な損害でもなかったからなおさらです。

次に2つの決心。

  1. 私たちとしては、すべての事に、ますます勤勉になること。
  2. 神にいっそう一致して、自分に頼らないこと。次のことを神は望んでおられます。
    つまり神に信頼することです。」