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新世紀ルーツへの巡礼
3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立
出版の少年使徒:マジョリーノ・ビゴルンゴ
アルベリオーネ神父が聖パウロ修道会を創立したとき、最初の志願者の1人に、マジョリーノ・ビゴルンゴ(11歳)がいました。
彼は、アルベリオーネ神父が、1914年に北イタリアのアルバ市の近くのベネヴェルロ村で療養中に知り合った少年です。
マジョリーノは、1904年5月6日、ベネヴェルロという村に生まれました。8日には洗礼のめぐみを受けました。
彼をとりかこむ環境は、キリスト教に熱心でした。マジョリーノ自身もとても信心深い子どもでした。彼は、小さいながら将来は司祭になりたい、多くの人々を救いに導く使徒になりたいと願っていました。
彼は、学校と教会に行きはじめたころから、将来の使命のために自分は生きているとの思いを抱いていました。
教会で、ミサを捧げる司祭に仕え、その態度は模範的で、いつもはっきりとした声で、間違うことなくミサ答えをしていました。
あるときには、兄弟姉妹を集めて、自分はイスの上にあがり、司祭がした同じ説教を繰り返していました。
マジョリーノはまた、美しい声の持ち主で、少年聖歌隊のメンバーでした。
ベネヴェルロ教会内部
そんな少年にアルベリオーネ神父は注目し、彼に公共要理を質問し、道で会うと話しをしていました。
ある日、アルベリオーネ神父は彼に尋ねました。
「君は大きくなったら、何をしようか考えたことがあるかい?」と。
少年は考え深そうに下を向き、何を答えていいか分からないようでした。しかし、この少年の魂の奥には何かある、とアルベリオーネ神父は感じていました。
マジョリーノは、教えることと、司祭であることが同時にできることを希望していたのです。そして、それは何と呼ぶものかを知らないでいました。
アルベリオーネ神父は、彼の思いが理解できたのです。しかし、子どもにどう説明したらいいかを思いながら、彼にこう勧めました。
「毎晩、聖母マリアに3つのアヴェ・マリアを唱えなさい。マリア様はきっと君の望んでいる道に導いてくれるでしょう。」と。
マジョリーノは、アルベリオーネ神父のこの勧めに従いました。
アルベリオーネ神父が「印刷学校(のちに聖パウロ修道会となる)」を開いたとき、主はマジョリーノをお呼びになったのです。
彼が聖パウロ修道会に入会したのは、1916年10月15日、12歳のときでした。彼の入会にあたっていろいろの反対がありましたが、それに屈せず、彼の父は彼がアルバに行くのを許可したのでした。
日本の聖パウロ修道会を創設し、彼と同時代に印刷学校に入ったパウロ・マルチェリーノ神父は、そのころのことを回想してこう語っています。
マジョリーノは、私と同じくアルベリオーネ神父から告解場(教会でゆるしの秘跡をうける場所)で、「君も私と一緒に来てみないか、君を新聞記者にしてあげるよ」と勧められて、入会したのです。
私が聖パウロ修道会に来たとき、コスタとアルマーニの2人が私を出迎えてくれました。マジョリーノもいました。
数日後、アルベリオーネ神父は私を呼んで、「マジョリーノの守護の天使になりなさい」と言われました。
彼は、全力を打ち込んで修道生活をしていました。しかし、しばらくして、病気のため実家で休養することになりました。
その後、アルバの聖パウロ修道会をたずねてきたことがありました。ほっそりと、青白い顔で、私にほほえみかけ、雑談をしたのち、また会おうと言って別れたのですが、それが彼との出会いの最後になりました。
マジョリーノは、聖パウロ修道会に入会してからは、理想を目指して邁進(まいしん)していました。
「毎日、少しずつ進歩したい」という志をもってすごしていました。
アルベリオーネ神父は、この少年を「出版の少年使徒」へ、と教育していきました。マジョリーノも、すなおに彼の指導に従っていました。
彼は、使徒聖パウロに特別の信心をもっていました。1918年1月25日、聖パウロの回心の日に、自分のノートに「今日、私はすべて神のものになりたい」と書いています。しばしばマジョリーノは、聖人になりたいと繰り返していました。
そんな彼に、病魔が襲ったのです。彼は、病気療養のために実家に帰っていましたが、いつも1日も早く聖パウロ修道会に帰れるように、出版使徒職のために働けるようにと祈り、また手紙にも書いていました。
しかし、彼は2度と聖パウロ修道会に戻ることは出来ませんでした。そして、7月27日、聖母の土曜日に、主は彼をお召しになったのでした。14歳でした。
葬儀は、アルベリオーネ神父の司式のもとに、ティモテオ・ジャッカルド神学生、聖パウロ修道会の志願者たちの参加のもとに、荘厳に行われました。
アルベリオーネ神父は、マジョリーノについて、「マジョリーノは、18カ月間に、他の少年が3年かかって学ぶことを全部勉強しました。また、一般の印刷工が3年かかって取得することを、18カ月で身につけました。『カゼッタ・ディ・アルバ』誌は、時にはマジョリーノ1人で、全部印刷されたこともありました。彼は、真に出版使徒職の理想に燃えていました」と語っています。
後に、アルベリオーネ神父は、自ら『出版の少年使徒 ― マジョリーノ・ビゴルンゴ』を著述し、出版しました。