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新世紀ルーツへの巡礼
聖師イエス聖堂
アルベリオーネ神父の霊的手記より
当時はただ神への信仰と愛だけが、聖パウロの最初の子たちを 支えていた時代だった。私自身の生涯で 彼らほどの信心、徳、献身を備えた人にはまれにしか出会ったことがない。
外的困難……主は、それらに多く出会うようにはされなかった。そういうことにふさわしくもなかったし、困難に耐える力もなかったからである。……
まことの困難はいつも内的なものだった。著述家である司祭、使徒職にまで高められた技術、すべての人と現代的思想にまで浸透するほどの普及術という3つの概念を明確にし、それらに向けて方向づけをすることであった。 人の間では、いつでも誤りが起きるものである。主はその御あわれみと聖性ゆえに、高ぶる者を常にへりくだらせる。
多くの聖務をかかえていたので、日中余儀なく他の教育者たちの手に若者を委ねざるを得なかった。この教育者たちは、善良ではあったがパウロ的精神に順応しきれず、まるで印刷業という職業を身につけなければならない孤児院の子供たちのように教育していた。必要なことを言うことさえ できないこともたびたびあった。黙するより仕方がなかった。
だがこの最初の4人はきわめて忠実、賢明で、受けた指針に従うのに熱心だった 。
のちにこの 4人のパウロ会員が ローザ神父の労働者たちと別れることができると、ほどなく他の者たちも加わってきた。こうして、この修道家庭はうまく運ぶようになった。
そこで私は、自分が不在のときも すっかり安心していることができた。というのは、生まれつつある家庭に対する会員の愛は、それほど深かったのである。……
その後の年々、他の多くの人びとも困難に出会い、犠牲を果たし、模範的な忠実を保った。しかしそれらも、あの最初のころに経験したこととは比較の対象にもならない。
あの創立当初は神が承認しておられるということ、そして、間もなく教会の承認もそれに続くということを感じとらせてくれた。そういうわけで自分たちは幻想を追っているのではなく、神の道を歩んでいるのだという ますます固い信仰をもって進んでいった。
創立当初の一番重い荷を、年齢を遥かに上回る理解をもって担ってくれたあの親しい兄弟たちを、いつも思い出している。彼らの単純で堅固な信仰は、神のみ手のうちに安心して自らを委ねさせ、彼らの神と人びとへの愛と、聖性への深いあこがれは、多くの人の召命に道を開いたのである。