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新世紀ルーツへの巡礼
6--2 第ニ次世界大戦終了後の歩み
大洋を越えるアルベリオーネ神父の最初の旅行
アルベリオーネ神父は、1945年12月27日、シスターテクラと共にナポリから“アンドレア・グリッティ”号で出発なさいました。
この船は、シスターパウラに伴われた3人の修道女が修練院に入るため、彼女たちをイタリアへ運んだ船です。この船はまだ、戦争の装備をしたままでしたが、ナポリ港についた最初の民間船でした。
旅行中、アルベリオーネ神父は具合が悪くなりました。船は軽く、海は荒れていました。何日かの間、ミサをささげることはできませんでした。
ニューヨークに着き、キャンフィールドの修道院や、聖パウロの娘たちが行って間もないヤングスタウンの修道院も訪問されました。
このような手段で、聖パウロ会のすべての修道院と、聖パウロ女子修道会の修道院は、師イエズス修道女会の修道院を訪問されました。そのころはまだ少数の人しか、海外宣教に出ていませんでした。
ブラジルへ行く飛行機に乗るために、ニューヨークから汽車で、マイアミへ向かいました。4つのエンジンをもつ旅客機ではなく、2つのエンジンしかない飛行機で行きました。ですから3、4時間おきにどこかの空港に着陸し、日中だけしか飛びませんでした。夜は航空会社が指定したホテルに泊まりました。
ニューヨークからマイアミへの旅行には、2日と一晩半かかりました。アルベリオーネ神父がミサをささげると、そこにいた紳士が感動して、その人はだれなのか、どこへ行くのかと尋ねました。アルベリオーネ神父、シスターテクラ、そして英語を話すシスターパウラの3人の旅でした。シスターパウラは、ブラジルのサンパウロまで同伴してくれました。
マイアミに着いたとき、例の紳士のおかげで助かりました。彼はイエズス会の司祭たちに電話して、アルベリオーネ神父を泊めてもらえるように、私たち2人は、ある修道女会にと、宿泊を頼んでくれました。しかしそこには、ほんのわずかな時間だけしかとどまりませんでした。4時には、出発のために飛行場にいなければならなかったからです。
リオに着いたとき、チェレステ神父がアルベリオーネ神父を待っていました。彼はそこに一日だけとどまり、そしてサンパウロに向かいました。
ここでは、トロッソ神父が大歓迎会を催してくれました。アルベリオーネ神父は、大きな進歩を見ることができて、たいへん喜びました。そのころ聖パウロ会の修道院は、リオとサンパウロとポルトアレグロの3か所にだけにしかありませんでした。
それからブエノスアイレスへ行き、修道院を訪問した後、再びマイアミへ向けて出発しました。
そこに、シスターパウラが、私たちを迎えにきてくれました。アルベリオーネ神父は、町を見て、そこに修道院を開くように、と促しましたが、それが実現したのは1960年のことでした。
帰途は、ニューヨークから、4つのエンジンのある飛行機でヨーロッパに向かいました。
毎年外国の修道院を訪問するという決心を立てるほど、彼はこの旅行に満足されました。