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なるほど! 社会教説 “しろはた”

第5回:みんなでしあわせになろう!

<第9章、1 聖書の視点(428-432)>

 不思議なことに、どうも人というのは、自分だけがしあわせになることはゆるされていないようです。子どもころ、周りの人にあげることなく独り占めして食べたお菓子は確かに甘くておいしかったのですが、後になると苦い思い出でとなってしまいました。

 ところで、以前観たテレビ番組で、養子縁組をしようとする夫婦と養子になる子の出会いが紹介されていました。初めは目を合わせることがなかった幼子が、何度か会ううちに、自分の食べているご飯を後にお父さんになる人の口にスプーンであげるシーンがあり、素直に感動しました。よちよち歩きの小さな子でも、喜びを分かち合おうとするのです。人間は本来そのように方向づけられているのだ、と結論づけたくなるシーンでした。

 自分だけでもしあわせになりたい、という思いが人間にあるのは確かです。しかし、できればみんなでしあわせになりたいという思いもあり、それが望ましいということも知っています。それが望ましいのであれば、あきらめることなく、みんなでしあわせになることを目指したいものです。「自分だけよければいい」という考えは人間の本心ではありません。みんなでしあわせになるという本当のしあわせを、あきらめざるを得ない状況が生み出す悲劇の結果です。このような状況を改善するために、月並みではあっても、人類は1つの家族なのだ、という意識を根気強く醸成する取り組みが求められているのです。


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