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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記

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第2回 イタリア サレルノ


最初の支部修道院に出発しようとする姉妹たちが語るのを聞きましょう。

1928年11月1日、晩課の祈りの後、プリモ・マエストロは若者たちをもう一度教会に集め、聖体を顕示し、イタリアのいろいろな町に出発する5人の姉妹たちに福音書を渡されました。そして心に響く勧めを与え、聖体の祝福をもって閉じられました。

11月2日朝、始発の列車でアルバからローマを経由してサレルノに向けて出発しました。貨物列車は数日前、すでにわたしたちの本、本棚、ベッドを積んで行きました。途中ローマで下車し、少し前に、グロッタフェッラータに住み始めた姉妹たちの所に行きました。彼女たちはとても貧しい生活をしていました。そこで貨物列車の到着を知らせる電報を待ちました。電報は4日の午後到着し、わたしたちはその日の夕方ローマを出発し、翌朝サレルノに到着しました。

ミサにあずかった後、大家さんのところへ鍵を取りに行き、荷物を引き取りに駅まで往復しました。この荷物運びが全部終了したところで、大家さんはわたしたちを昼食に招いてくださいました。夕方5時という時間でしたが、わたしたち(シスターアンドレイナ・ビネッロとわたし)は朝一杯のコーヒーを飲んだだけでした。

マリオ・マルトラーノ師は、翌朝のために、水を入れた洗面器をわたしたちに持ってきてくださいました。アパートにはまだ水もガスも整備されていなかったからです。疲労困憊していたわたしたちは、床にありあわせの薄い布を敷いて横になり、朝までぐっすり眠りました。

翌朝、身支度を整え、ミサにあずかり祈りをするため教会に行きました。その後、町の中心部を巡りました。ベールもつけず、ジャケットだけ着ていたわたしたちの服装が見た目に奇異に思えたのか、人々からは好奇と驚きの目で見られました。当時わたしたちは、ベールはまだ聖堂でだけつけていたのです。

2日後、マエストラ・テクラが来られました。わたしたちはどんなに励まされ、うれしかったことでしょう。マエストラ・テクラと一緒に大司教さまにごあいさつに伺いました。とても温かく迎えてくださり、わたしたちが近くに来たことを非常に喜んでくださいました。何か困ったことがあれば何でも言うようにとことばをかけてくださいました。

大司教さまの訪問から戻るとすぐに、アルバから持ってきた本を本棚に整理しようと思いました。マエストラ・テクラを歓迎することもできないため、心は沈んでいたのですが、彼女の指図に従ってできる限りきちんと本を棚に入れることができました。

その日も、ベッドの代わりに床にありあわせの薄い布を敷き、今日出会った面白いことについてしばらく大いに笑ってから休みにつきました。本を本棚に整理した後、台所のことを考えました。戸棚がなかったので、木箱をふたつに分け、片方にお皿、もう一方にお鍋を入れました。

マエストラ・テクラはわたしたちを残してバーリに出発されました。わたしたちは彼女を駅まで送り、少しさびしい気持ちで戻ってきました。わたしたちだけになったのは残念でしたが、バーリの姉妹たちも、同様の困難の中で、プリマ・マエストラの助けと慰めを受けていることを考えることはうれしいことでした。

まず、わたしたちは、町で毎月普及する回報の印刷物を通して、わたしたちの存在を知らせようと考えました。大司教さまにご相談するとわたしたちのこの案に賛成してくださいましたが、その前に主任司祭たちに集まっていただき、このことを先にお知らせすることを望まれました。それで若い女性に伴われて、普及がたやすくなるように、いろいろな小教区を回りました。

2月にはアルバで印刷された回報「聖マタイの声」の第1号が出来上がり、配布を始めました。また、大司教さまに助けられて神学校と聖ペトロと聖アウグスティノの各小教区の学校に図書室を開きました。そして5月には回報と一緒にマリアさまの本と、列福式を機会にドン・ボスコの本もたくさん持って家庭を回りました。

8月8日、本のプロパガンダ(訪問宣教)のためにバロニッシにやってきました。駅にはカトリックアクションの人々が待っていました。教会では主任司祭がわたしたちを出版の使徒として紹介してくださり、良書の出版とそのよりよい促進の必要性について話してくださいました。教会内には、出版物の普及のためにいく人かの人々が選ばれ、「出版使徒職の協力者」のセクションができました。9月にはモンテコルビーノ、バッティパリア、フォイアーノ、メルカート・サンセベリーノその他の村で本のプロパガンダを続けました。

どの村もわたしたちにとっては使徒職の畑であり、だれもすべての人にみことばを運ぶ望みを妨げることはできませんでした。


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