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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記
第3回 イタリア バーリ
アルベリオーネ神父は次第に、もっと地域を広め、さらに、印刷だけではなくもっと使徒職を広める時が来たことを感じました。1928年9月11日、アルベリオーネ神父はジャッカルド神父に次のように書いています。
「印刷所だけでなく、書院を開設する必要がますますはっきり見えています。パウロの娘たちの法的認可は近づいており、新しい修道院の開設が考えられています」。
デジデリオ・コスタ神父とパウロ・マルチェッリーノ神父は、支部修道院を開くための可能性を探していました。修道院の開設は、普通、パウロの娘たちが担当していました。2人あるいは3人が一つのグループとなり、信仰に満ちあふれ、わずかな準備と創立当初の貧しさの中で、創立者が選んだ町に向かいました。その町は、創立者がまず先に行くか、あるいはその地域の司教への紹介の手紙を携えて、同伴してくださいました。
2番目の修道院は、1928年11月15日、バーリに開かれました。そこにはマエストラ・フランチェスカ・コルデーロ(1899-1985)、シスターアンナ・メルラ(1889-1946)、シスターケルビーナ・コルデーロ(1908-1991)が派遣されました。初めの一週間はイブレアのインマコラティーネ修道会にお世話になり、その後、ダンテ・アリギエリ通り29に住まいが定まりました。
1928年11月19日、アルベリオーネ神父は、ベローナにマエストラ・バルトロメア・ビビアン(1903-1984)、シスターエマヌエッラ・マリーニ(1900-1934)、シスターセラフィーナ・ミラーニ(1910-1984)を派遣しました。一か月間はイエスの修道女会にお世話になり、その後、サン・コシモ通りに小さな住まいを置きました。
マエストラ・テクラは彼女たちの出発に同伴するか、あるいは少なくとも数日後にはそこに到着しています。彼女たちと困難、冒険、初期の不安定さを共に生きられました。彼女の旅はまことに創立の旅と言うことができました。それは11月初めから1928年の降誕祭まで続きました。
創立者はアルバから、先駆者としてのシスターたちを見守っていました。彼は彼女たちの住まい、健康、精神、法的手続き、普及の可能性などのすべてに関心を示していました。彼は姉妹たちが前進するように、また、母院と絶えず結ばれているように励ましています。例えば、サレルノの共同体には次のように書いておられます。
わたしはあなたがたの熱心さと神の恵みをとても期待しています。あなたがたは同じアルバ(母院)の家の者であり、商売をする人ではありません。ですから、アルバにいるのと同じように正しく行動してください。特に母に対する娘としての愛、家族の一人として愛し合いましょう。他のことはついてきます。最高の掟は愛です。