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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記

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第9回 フランスにおける創設  - 敵意と同情で迎えられたリオン修道院の創設 -


フランス・リヨン
フランス・リヨンの最初の家

 

フランス最初の修道院の創設のためには、大きな恵みが必要でした。なぜなら、困難は続いていたからです。1932年、シスタークレリア・ビアンコとシスタークラウディア・ネグリはフランスに修道院を開設するため最初の試みをしました。おそらく時期尚早だったのでしょう。この試みは実現しませんでした。1935年6月、もう一度試みました。トリノから2人のシスターが修道院を開く意向でリオンに送られたときには、一時的に家具付きの部屋にいなければなりませんでした。プリモ・マエストロは彼女たちを派遣しながら、こう言われました。「ことばを学ばなかったとしても、勉強しなかったとしてもかまいません。主が行われるでしょう」。

最初の2人のシスターは、大きなトランクにわずかな衣料品と多くの有名なフランス語の聖書を入れて出発しました。この聖書は間違いが多く、人々に紹介するには乏しいものでした。2か月間、家具付きの部屋を借りました。あまりきれいなところではありませんでしたが、その後、もう少し清潔なところを見つけ、フランスに移民したイタリアの善良な人々の助けで、必需品を徐々にそろえていきました。

しばらくの間、一つの鍋で生活していたので、他のおかずを作るためには、スープを全部注ぎ終わらなければなりませんでした。秋の寒さがやってきましたが、毛布が足りませんでした。寒さを防ぐためにもらった毛糸をつなぎ合わせて掛け布団を作りました。日中はプロパガンダに行き、帰ってからガスをつけてお湯を沸かし、湯気で暖をとっていました。

プロパガンダの1回目は、まったく「試して見る」ことでした。フランスとイタリアの政治状況は対立していました。なぜなら多くのフランス人はイタリア人に好感を持たず、エチオピアの征服に備えていました。

貧しさから来る困難は、敵意の眼差しや同情の態度に比べれば何でもありませんでした。外国人だから、あるいはことばを知らないので後ろ指を指されました。それは特に、わたしたちが普及していた聖書と聖書の抜粋に関してでした。セント・ジーンデ・モーリーンとムーティレ教区の多くの村を回ったシスターゼフィリーナ・バルディとシスターマリア・ムッシは、警察所に連れていかれ、彼女たちの身分がはっきりするまで長い尋問を受けました。

別の困難はプロパガンダ(一軒一軒、家庭を訪問すること)で紹介する適当な本がなかったことです。大きい聖書と他に2、3の聖人伝、すべての家庭に配っていた「種」というパンフレットの他には何もなかったのです。

それらすべてにもかかわらず、他の宣教地にある修道院から送られてくる寛大な献金に不足しませんでした。

そのうちに姉妹たちは幼きイエスの聖テレジアの教会に、2番目の住まいを見つけました。聖堂を準備し、ご聖体を安置することができました。姉妹たちの信心と犠牲の精神をご覧になった主任司祭は、姉妹たちを大切にし、嘲笑する人々の前で姉妹たちを守っていました。

「彼女たちのなすままにしなさい。彼女たちは良く祈っています」と。



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