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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記
第13回 チリの創設
- ネズミの間で -
バルパライソの修道院は1948年3月18日、シスタージュリア・トスキ(1914-1999)、シスターフルジダ・サンドリーニ(1922-1993)、シスターコンチェッタ・ドンディ(1909-1982)、そしてシスターブリジダ・アルジェントゥによって開かれました。シスターコンチェッタとシスターブリジダの2人は、スペイン語でチリの人々と最初のコンタクトをとるための応援として、アルゼンチンからやってきました。
シスターたちは、聖パウロ修道会の修道士や神父さまたちから親切に迎えられました。最初のころは町にあるすべての修道会のドアを叩き、すべての人が伝統的なあいさつ「aqui esta su casa ここはあなたの家です」と彼女たちに繰り返し言ってくれたにもかかわらず、彼女たちのための場所はありませんでした。しばらくはペンションに宿泊しなければなりませんでした。悪くはありませんでしたが、落ち着く場所ではありませんでした。
他の住居を見つけることができなかったので、書院の後ろを片付けて使用することを思いつきました。幸い広い空間があったので、テーブルで簡単な仕切りをすれば、住む場所として使用することができました。
そのテーブルを利用して壁をつくり、高いところの2つの窓を開け、後ろの方は寝室と台所にしました。こうして彼女たちは、自分たちの家で喜びと自由を感じることができました。雨の日はすべての窓から雨が降り込んでくるので、ありったけの器を用意してそれを受けとめていましたし、大きなネズミが夜昼かまわず襲撃してはベッドの上や食器棚に現れ続けましたが、家が古いことなどたいしたことではありませんでした。シスターたちは相変わらず満足していました。
1948年9月、書院の後ろの哀れな住居に、マエストラ・ナザレーナ・モランド(1904-1984)が来てくださいました。シスターたちは大いに喜びましたが、このような惨めでふさわしくないところに彼女を泊めなければならないことは、心苦しいものでした。ある日、マエストラ・ナザレーナは一人の姉妹に、梁を指差しながら言いました。「あの梁のところを見て! 何と大きなネズミ、怖い!」と。
チリの家 1952年