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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記
第14回 メキシコの創設
- 看護師として受け入れられたビザ -
メキシコのサンパオロフィルムの正式の開設は、1948年5月26日(木)でした。最初の4人は、シスターディオミラ・トロッリ(1914)、シスターテクラ・ジリアンティ(1916-2007)、シスターアヌンチアータ・スパーダ(1926-2009)、シスターベルナデッタ・フェッラーリス(1913-2002)でした。アメリカ合衆国から4日間の列車の旅と、バスを乗り継いで22時間の旅でした。2人のパウロ会司祭とともに旅をし、聖パウロ修道会の院長とブラザーがで国境で待っていました。
やがて、修道服を着用してはいけないという大きな犠牲が待っていました。私服を着用しなければなりませんでした。初めての家庭訪問のために、ほんの数日で準備できまし。
メキシコに来て15日後には、家庭訪問を開始しました。しかし心配事があり、あまり喜んでいませんでした。それは、すでにプロテスタントの人々によって家庭訪問が行われていたのです。まだ言葉が十分でなかったので、人々にわたしたちのことを分かってもらうために、かなり努力をしなければなりませんでした。
プロパガンダはじめたばかりのころ、いろいろとおかしなことがありました。志願者のような簡単な服装と帽子をかぶり、シスタージリアンティとシスターアヌンチアータが一緒にプロパガンダに行きました。書籍を紹介しようとあるレストランに入りました。そこの主人は、シスターたちに愛想よくメキシコの言葉で「かわいい姉妹たち!」と声をかけてプロパガンダをゆるしました。けれどもシスターアヌンチアータはその意味が分からず、逆にピエモンテの「ciula つまり愚か者」と理解しました。そして少しむっとして、「あなたはもっとciuloですね」と答えました。すると相手はていねいに「どうもありがとう」と答えたのです。シスターたちはあいさつもせずに出てきてしまいました。
家に戻ってから「ciula」という言葉の意味が分かり、大いに笑ったものでした。
1926~1928年には、このメキシコの大地で多くの殉教者の血が流されました。メキシコでは書籍の普及の大きな発展の可能性がありましたが、シスターたちは赤十字の専門の看護婦として登録することによってのみ、5年間のビザが受けられたのでした。