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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記
第17回 インドの創設
「暑さとことばの混乱の中で」
1951年8月17日 9時30分、TWA航空のローマ ― ボンベイ(現在のムンバイ)の便でボンベイ空港に聖パウロ女子修道会の最初の4人の姉妹が到着しました。Sr.マリア・パオラ・コルデロ、Sr.ジェズアルダ・アウレリ、Sr.エレナ・テッツェリ、Sr.ビルジニア アルビーニ。飛行場では特別な歓迎式はなく、花束もなく、ただ聖パウロ修道会の一人の神父と一人のブラザーが歓迎のあいさつと入国手続きのため出迎えてくださいました。
8日間はカノッサ会の修道院に客人として滞在し、その後、大司教所有の家に移りました。その後、この家を買い取りました。2年間くらい、だれも住んでいなかったので設備らしいものはほとんどありませんでした。電気、水道もなく、掃除もしていませんでした。近くに住むカトリック信者の方が大掃除をしてくださり、電気設備も整いましたが、シスターたちは店、道、地域の習慣もまだ分からず、買い物は信者の方々のお世話になっていました。
不運な出来事や困難は山ほどありました。まず大変な問題は暑さで、何人かのシスターは気候に慣れず帰国しなければなりませんでした。次に大きな問題はことばの不自由さでした。英語はマエストラ・パオラしかできませんでした。インド全土で英語以外に200言語ほどが話されていて、ボンベイだけで10の言語があります。インドにおける初期の宣教において、ことばのためにどれほど困難があったことでしょう!
宣教女のことばを聞きましょう。
小教区の主任司祭は、教会で手伝っていた信者に頼んで家の近くの井戸から水を汲んでくれるように手配したのですが、彼が言うことはわたしたちには分からず、わたしたちの言うことは彼に分かりません。ことばによるコミュニケーションはバベルの塔と同じでした。必要でないときに水を汲んだり、必要なときには汲まなかったり……買い物に出かけるときも大変でした。ある日、氷を買いに出かけて、途中で現地の氷ということばを忘れないように大きな声で繰り返して行きましたが、店に入った途端、その単語は頭の中で消えてしまいました。いくら考えても出てきません。周りの品物全部を見ても氷は見つかりません。店員がすべての商品を見せてやっと氷が現れたときはホッとしました。そのときから氷にあたる現地のことばを忘れたことはありません。
アメリカから家具、台所用品、家庭用道具を送ってくれたので、主任司祭から客用のグラス4個、お皿、食器など4つずつ、鍋を2つ借りました。あいにく、グラスは1個ずつ全部壊してしまいました。同じ形、色、模様を見つけるまで、町のほとんどすべての店を回らなければなりませんでした。
着いてから約1か月後、1951年9月23日にサンタテクラの祝日に一番目の志願者フィロメナが入会しました。喜びと感謝の心いっぱいで彼女を迎えました