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信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記

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第26回 ウガンダの創設 殉教者の地で


パウロの娘たちがアフリカに来てからすでに6年を経ていました。コンゴでは、すでに2箇所に修道院を設立し、次の到達すべき目標としてウガンダを考えていました。

1964年2月2日、教会権威の要請のもと、あつく望んでいた殉教者の地に晴れて到達することができました。

シスターバジリア・ビアンコと一緒に、それぞれ国籍の異なる3人のシスターがキンシャサを出発しエンテベの飛行場に到着しました。そこには何人かの宣教師たちが出迎えていてくださり、カトリック司教協議会の秘書局のアゴストーニ師がいらっしゃいました。彼は姉妹たちの手続きの最初から世話をしてくださり、彼女たちに似合った家を準備していてくださいました。

宣教師たちは彼女たちをザンビア-カンパラの宣教フランシスコ会のシスターたちのところに案内してくださいました。ウガンダでの一日目をここで過ごし、その後、自分たちの家、町の中心から約4キロ離れたナカセロ・ヒル7 ヤドンド・ロードに向かいました。彼女たちは、まず一つの部屋と聖堂を整えました。

ウガンダ  

その後、2人のシスターが書院の場所を準備する間、他の2人のシスターは使徒職に関する新しい環境を学びながら、家庭訪問を始めました。ウガンダ、特にカンパラは異なる大陸から来ている人々が住み、信じる宗教の相違から、この勉学も簡単ではありませんでした。けれどもそこで働いている多くの宣教師たちの模範に励まされて、パウロの娘たちは初期の困難に勇気を持って立ち向かい、環境によく溶け込んで使徒職をよりよく果たすように努めていました。

いくつかの困難の後、家庭訪問は慰め深い発展を遂げました。書院も多くの人が利用するようになりました。遠距離のために町に行くことができない宣教師、要理の教師たちには、教区の回状を利用して連絡していました。パウロの娘たちは、彼らに新刊、宗教教育のための教材などの情報をタイミングよく提供していました。この方法によってケニヤ、タンザニア、マラウィ、ザンビアの宣教師たちにもいろいろな情報を知らせることができました。



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