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パウロ年 一口メモ

パウロは何カ国語話せたのでしょうか?

聖パウロは何カ国語話せたのでしょうか? 聖書にヒントがあります。
使徒言行録21章37節には、パウロは千人隊長に、ギリシア語で「一言お話してもよろしいでしょうか」と話しかけたことが記されています。ですから、ギリシア語が話せたことが分かります。
タルソス出身のパウロですから、子どもの時からギリシア語が話せたことでしょう。

そして、千人隊長の許可で、民衆にヘブライ語で話し始めたことが記されています。当時は「ヘブライ語」といっても、旧約聖書で使われているヘブライ語とは違い、「アラマイ語」でした。これは、パウロの両親も宗教的に熱心なユダヤ人家庭でしたから、家庭では、「アラマイ語」を使っていたことでしょう。

使徒言行録22章1節から始まるパウロの説教の中で、次のような言葉があります。「ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け」た、と。
当時の有名なラビのもとで、律法について学ぶということは、「ヘブライ語」で学ぶことになっていましたから、当然、パウロもヘブライ語ができたことでしょう。

さらに、22章25節には、鞭打たれようとしたパウロが、ローマ軍の百人隊長に「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか」と、抗議している言葉があります。
当時、ローマ市民権を持つ者は、ラテン語ができなければならないことになっていたそうです。ですから、パウロは、ラテン語も話せたと考えられます。

こうしてみると、ギリシア語、アラマイ語、ヘブライ語、ラテン語の4言語ができたことが分かります。これだけの言語ができるということは、当時の世界のどこへ宣教に行っても困らなかったことでしょう。


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