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パウロ年 一口メモ
聖パウロの協力者たち 1
パウロは偉大な宣教者でした。当時の世界をかけめぐって宣教した、と言っても過言ではありません。
しかし、パウロが表面に輝いているように見えるこの宣教にも、パウロを支える多くの協力者がいたからこそ、と思います。
それで、何人かの協力者だけになりますが、彼らを取り上げてみたいと思います。
聖バルナバ
バルナバは、初代教会において重要な役割を担った人です。使徒言行録の5章までには、初代教会の様子が「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒言行録 2.42)、と描写されています。
このような教会の中で、バルナバは、特にすぐれた人としてその姿が示されています。使徒言行録の4章36から37節によりますと、レビ族出身で、バルナバ「慰めの子」と使徒たちから呼ばれていました。
レビ族の人々は、イスラエルの12部族の中でも、土地を所有しないのが普通ですが、離散ユダヤ人には、この規則が適応されていませんでした。それで、キプロス島生まれのバルナバも持っていた土地を処分して、その財産を使徒たちに差し出しました。
キプロスの土地の広さについてはわかりませんが、豊かな土地が多かったキプロスですから、高く売れたのかもしれません。
ステファノの殉教をきっかけに、エルサレムではキリストを信じる人々への迫害が始まりました。このため、多くの信者たちが各地に散っていき、それぞれの場所で、福音をのべ伝えるようになりました。
こうして各地にキリスト教共同体が誕生したのですが、中でも活発だったのが、シリアのアンティオキアでした。そこで、エルサレムの教会は、アンティオキアの教会の様子を見るために、派遣した人がバルナバでした。
このことからも、バルナバはペトロや他の使徒たちから、信頼されていた人だったということがわかります。さらに、主イエスへの信仰が堅固であり、創設された新しい教会を視察するために必要な温かい心と同時に、正しいことを見抜く目を持っていた人だったことがわかります。
バルナバは、この新しい教会に接し、ユダヤ人からの改宗者だけで成り立っているエルサレムの教会とは違う空気を敏感に感じ取ったのでしょう。このような教会にふさわしい人として、タルソスのパウロの存在を思い出しました。
それまでのパウロは、ダマスコ途上での回心の出来事以来、ダマスコで宣教して殺されそうになり、エルサレムで使徒たちと出会い、ここでも、パウロに反感を抱いた人々から命を狙われ、失意のうちにタルソスに帰ったのだと言われています。
たぶん、エルサレムで、パウロはバルナバに出会っていました。そして、パウロの性格、気性などをしっかり見抜いていたのが、バルナバでした。バルナバは、パウロを捜しにタルソスへ行き、「見つけ出して」アンティオキアへ連れ帰ったのです。
こうして、バルナバとパウロは、丸1年の間、アンティオキアに留まり、宣教・司牧に励みました。
パウロの宣教にとって、第一の協力者は、バルナバといえるでしょう。バルナバがパウロの能力を見抜かなければ、パウロは、現在の私たちが知っている宣教旅行を何度もした宣教者とは、ちょっと違った宣教者になっていたのかも知れません。
初代教会で立派な人としてよく知られ、「聖霊と信仰とに満ちていた」(使徒言行録 11.24)バルナバの存在がなかったならば、パウロがあれほど早く、教会の中で認められることはなかったことでしょう。
そして、共に第1回の宣教旅行に旅立ったのです。