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マザー・テレサの略歴
1910年8月26日 | アルバニア人を両親として、当時のユーゴスラビアのスコピエに誕生。3人兄弟(兄、姉)の末娘として生まれる。 本名・アグネス・ゴンジャ・ボアジュ。 マザーの言葉「両親は私たちが神を愛するように育ててくれ、祈りを教え、隣人を愛するように教えてくれました。それは、幸せなカトリックの家庭でした」。 |
1928年10月12日 | ロレット修道会に入会。 |
1928年12月 | インドへ向けて出発。 マザーの言葉「私は宣教師になりたかった。出かけていって、キリストの命を、人々に伝えたかった」。 |
1929年1月6日 | カルカッタに到着。 マザーの言葉「ベンガルの宣教地区へ行きたいと申し出ました」。 1931年5月24日 初誓願宣立。 修道名は「幼きイエスのシスター・マリア・テレサ」であった。以後、アグネスと呼ばれることはない。 |
1937年5月24日 | 終生誓願宣立。 終生誓願を立てることによって、ロレット修道会の習慣から「マザー・テレサ」と呼ばれるようになった。 |
1929年~1948年 | インドのカルカッタにある「聖マリア高等学校」で、地理を教え、校長も務める。 マザーの言葉「教えることは何より好きでした。ベンガル区の学校を担当していました。初期のシスターたちの多くは、教え子でした」。 |
1946年9月10日 | 「決意の日」。ダージリンに向かう列車の中で、「貧しい人のなかでも、最も貧しい人に仕える」召命を受ける。 ロレット修道会を退会し、カルカッタのスラムで働く許可を長上と、ローマに願う。 マザーの言葉「1946年のこと、ダージリンに大事な黙想をしに出かけるところでした。その汽車の中で、すべてをささげてスラム街にあのお方・キリストに従い、貧しい人の中の貧しい人の間で、その方に仕えるという招きを聞いたのです」。 |
1948年8月8日 | ロレット修道会を退会。3カ月間、医療についての集中訓練を受ける。 マザーの言葉「まず、パトナにいるシスターたちのところに、少し医療のことを習いに行きました。家庭に入り込んでいって、子どもや病人をみることからはじめなければならなかったのです」。 |
1948年12月21日 | 最初のスラムでの学校開設の許可がおりる。 マザーの言葉「最初に始めた小さい学校には、初日に5人の子どもが来ました。あとは、日増しに来る子どもの数が増えて……」。 |
1949年2月 | ゴメス家所有のアパートに引っ越す。 |
1949年3月19日 | 最初の志願者が来る。 マザーの言葉「最初の10人は、みな学校で教えたことのある人たちでした」。 |
1950年10月7日 | 「神の愛の宣教者会」が、カルカッタの教区で承認される。 マザーの言葉「教区認可になったとき、シスターたちはただの12人でした」。 |
1963年3月24日 | 男子の「神の愛の宣教者会」創立。 マザーの言葉「学校では男の子たち、死を待つ人の家でも男の人たちを世話する必要があったのです」。 |
1965年2月1日 | 「神の愛の宣教者会」教皇認可を受ける。 マザーの言葉「1950年に、教区認可のものとし、15年のち、教皇認可の修道会にしてくださいました。これがいちばん大きな奇跡でした」。 |
1971年1月6日 | 教皇パウロ6世より、「ヨハネ23世教皇平和賞」を受賞。 |
1979年12月10日 | ノーベル平和賞受賞。 マザーの言葉「私個人は、ノーベル平和賞に値するとは思いません。しかし、人々がもっと貧困問題に目を向けるために、この賞が与えられたものと思います」。 |
1986年2月 | 教皇ヨハネ・パウロ2世、インド訪問の際、マザー・テレサを訪問。 |
1997年3月13日 | マザー・テレサの病状悪化に伴い、新総長にシスター・ニルマナが選出される。 |
1997年9月5日 | マザー・テレサ帰天。 |
1997年9月13日 | 国葬。 |
2003年10月19日 | 教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。 |
2016年9月4日 | 教皇フランシスコによって列聖された。 |
<2020年6月追記-列聖などの情報>