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聖霊講座
第6回 パウロが語る“霊”
前回は、イエスに実際に出会った人々が、約束通り聖霊を受けたときのお話でした。新約聖書の中で、福音記者と同様に大切な人物が聖パウロです。パウロは、生前のイエスと出会ってはいません。律法に厳しいファリサイ派のエリートで、イエスに従うユダヤ人たちを見つけ、縛ってエルサレムに連れてくる使命を負っていた人物でした。このイエスに敵対するパウロが、復活したイエスから声をかけられるのです。この感動的な出来事については、使徒言行録9章に載っていますので、お読みください。
さて、イエスに敵対する者から180度転換して、イエスを宣べ伝える者となったパウロは、それまでイスラエルの世界だけだったキリスト教を異邦人へも広め、宣教旅行をしながら小アジアの各地に教会を建て、信徒の共同体の組織作りをしていった人です。パウロによって、キリスト教は地中海全体に広がり、ヨーロッパに広がる教会の土台を作りました。彼は宣教の旅先から小アジアの教会宛てにたくさんの手紙を書きましたが、それはまた、キリスト教の神学の基礎を確立することにもなったのです。
教会に宛てた手紙の中で表明されたたくさんの教えの中で、パウロは聖霊についても語っています。今回は、パウロの聖霊論を見てみましょう。
まず、“霊による命”について書いている「ローマの信徒への手紙」8章を開いてみましょう。
霊の呼び名
パウロは、霊を“神の霊”とか“キリストの霊”と呼んで、神とキリストに関係するものと定義しています。父なる神と主イエスは、聖霊を通して、教会の中に救いの業を完成するのです。この霊によって、私たちはイエスと同じように、神を「父」と呼ぶことができるのです。
同じように、聖霊によって、「イエスは主である」と言うことができるのです。
(コリント1 12.3)
霊の思いは、命と平和
肉に従って歩む者と、霊に従って歩む者を対比させながら、キリストを信じる者は、霊に従って歩むようにと招いています。霊に従って歩むとは、どういうことなのでしょうか?
「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、
霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。
従いえないのです。
肉の支配下にある者は、神から喜ばれるはずがありません。
神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、
あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。
キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。」
(ローマ 8.5~9)
今、私がしようとしてることは神からくるのか、または自分の欲望からなのか……。神がはっきり声を出して語ったり、しるしを示してくださるのなら、こんなに簡単なことはありません。しかし、ほとんどの場合、神の導きははっきり表現されないものです。その判断基準は、選びが生命とか平和を与えてくれるかどうかにあります。選んだ結果、力が沸いてきたり心に平安が与えられるようなら、それは神からの霊に従ったしるしです。
聖霊の働き
パウロの手紙から、パウロの描く聖霊の働きがわかります。
聖霊は私たちを義とする (「義」について:ガラテア 2.15~21参照)
正しくない者が神の国を受け継げないことを知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者・・・人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。
(コリント1 6.9~11)
聖霊は私たちを聖とする
それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。
(ローマ 15.16b)
聖霊は私たちのうちに住む
知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
(コリント1 6.19)
聖霊は信者に霊の賜物を分かち合う
賜物はいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人には・・・・・これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
(コリント1 10.4~11)
聖霊は神を私たちに啓示してくれる
(神の霊による啓示:コリント1 2.6~16参照)
「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮びもしなかったことを、
神はご自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。
(コリント1 2.9~11)
聖霊は私たちを助け、嘆願する
“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
(ローマ 8.26~27)
聖霊は以上のような働きがあるのですから、私たちはこの「神の聖霊を悲しませてはいけません。」
(エフェソ 4.30)
以上のことから、次のことがわかります。
聖霊は、神のみにあてはまる働きを持っている
神の心を知り、探り、啓示し、恵み(賜物)を分配し、人を義とし、聖とすること、などです。
聖霊には神の主体(ペルソナ)にだけあてはまる働きがある
聖霊は自ら知り、探り、啓示し、証しをたて、呼ぶ。
聖霊は、父なる神と復活したキリストに結ばれている
聖霊は「神の霊」「キリストの霊」と呼ばれ、神とキリストは聖霊を通して人々の中に働く。
神とキリストと聖霊は、救いの業において特別の役割がある
神とキリストと聖霊は、その働きにおいて区別があることはわかります。その区別が何であるかを、パウロは述べていません。パウロは区別することより、父がキリストをとおして聖霊において行う、人間に対する救済の働きのダイナミックな一致に注目しているようです。
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