home>キリスト教入門>聖霊講座>第7回 今も働いている“聖霊”

聖霊講座

INDEX

第7回 今も働いている“聖霊”

 

さて、前回までは、聖書の中で語られている“聖霊”について見てきました。聖書が書かれた時代は、紀元一世紀の前半までのことです。ですから「昔の話なんだろ!」と言う人がいるかもしれませんが、違うのです。イエスが「聖霊を送る」と語った相手は、たしかに共に生活した弟子たちでした。しかし、その背後に、弟子たちに続く後の時代、つまり、現在までも、さらに未来に続く人々をも対象にして、「あなたがたに聖霊を送る」と言われたのです。

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリア全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
                          (使徒言行録1.8)

わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
                          (ヨハネ16.7~8)
 

このように語られた聖霊は、今も、教会の中で、信じる者たちの中で働き続けているのです。信じる者たちの上に聖霊が降ると、力を受け、世界中でキリストの証人となり、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにしてくれるのです。実際、今も世界中で信仰のゆえに迫害を受け、殺されているキリスト者がいますが、彼らに力を与え、語るべき言葉を与えてくださっているでしょう。

1962年~1965年、カトリック教会では“第2バチカン公会議”が開かれました。これは、科学技術の発展や、自由主義という社会の変化に対してかたく扉を閉めていたカトリック教会が、このままでは社会と教会が分離したものになってしまうという危機感を感じ、教会の刷新を求めて教皇ヨハネ23世によって開催されました。(ヨハネ23世の亡くなった後は、次の教皇パウロ6世に引き継がれました。)この会議では、いろいろな文書が出されましたが、その中で、中心かつ重要な文書が『教会憲章』です。これを読めば、カトリック教会の信仰と伝統がすべてがわかるというものです。

さて、この『教会憲章』の4項では、聖霊と教会について、次のように書かれています。

父が子に地上で行うべきものとしてゆだねられたみわざが完成した後、ペンテコステの日に聖霊がつかわされた。それは、聖霊が教会を常に聖となし、こうして信者がキリストを通して唯一の霊において父に近づけるようになるためであった。この聖霊は、生命の霊すなわち、永遠の生命のためにほとばしり出る泉である。

この霊によって、父は罪のために死んでいる人々を生かし、ついには、かれらの死すべき肉体をキリストにおいて復活させられるのである。聖霊は教会の中と信者の心の中に、あたかも神殿におられるように住み、信者の中で祈り、かれらが神の子となったことについてのあかしをたてられる。

この霊は、教会を全き真理に導き、交わりと奉仕のうちに教会を一つにまとめ、位階制度と霊能(カリスマ)との種々のたまものをもって教会を教え導き、霊の実りをもって教会を飾られる。聖霊は福音の力をもって教会を若がえらせ、絶えず新たにし、その花婿との完全な一致へ導く。霊と花嫁とは主イエスに向かい、「来りませ」と言っているのである。
 こうして全教会は、「父と子と聖霊の一致に基づいて一つに集められた民」として現われる。
 

バチカンから出る文章は、このようにちょっと難しいものですが、ここで書かれていることは、新約聖書の中で、イエスが、そしてパウロが語った聖霊そのものです。

そもそも、この“第2バチカン公会議”を開催しょうと思った教皇ヨハネ23世は、聖霊の促しによって公会議を開催しました。

1958年に教皇に選ばれたヨハネ23世は、翌1959年1月に、国務長官との会談を行いましたが、その席上で、公会議のことを語っています。しかし、この発言に対して、一番驚いたのは自分であったと語っています。そして、「公会議開催が、突然の霊感としてわき起こった」とことあるごとに述べています。

教皇は、1960年6月5日の聖霊降臨祭を公会議の出発の日とし、この日に準備委員会が発足しました。彼は好んでこの公会議を「新しい聖霊降臨(ペンテコステ)」と呼び、人々の心に聖霊が豊かに注がれるように祈り続けました。ヨハネ23世は、カトリック教会がますますカトリック的(普遍的)になるため、また福音的なるため、あらゆる面でみずからを改革しなければならないと感じていました。キリスト信者も、刷新された教会の中に、真の住処を見つけるだろうと信じていたのです。

このように聖霊は、教会が社会の中で使命を果していくために必要な促しを、必要な人に与えています。しかし、公会議という偉大なことだけに働くのではありません。私の平凡な毎日の暮しの中で、また悩み苦しんでいる私たちの生活の中でも、聖霊は働いているのです。  ただ、聖霊の働きはかすかなものなので、自分の考えに固執していたりかたくなになっている心では感じることができません。その意味から、開かれた心であるよう、いつも準備している必要があります。

聖霊の実りは、一致と平和です。分裂、争いへと導くものは、聖霊の促しではありません。

聖霊の導きが必要なとき、聖霊に力づけてもらいたいとき、大切なことを決めるとき、騒いでいる私の心を落ち着けたいとき、神の望んでおられる道を知りたいときなど、下記にある『聖霊を求める祈り』を唱えることをお勧めします。修道会でも、聖書を読むときや祈りの集いのとき、また重大な会議のときなど、みなで心をあわせて聖霊に祈ってから始めます。  神は、祈り求める人には恵みを与えてくださいます。信頼をもって祈りましょう。

聖霊を求める祈り(聖霊の続唱)

 
「聖霊講座」に戻る

▲ページのトップへ