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シスターテクラ・メルロ
第6回 初代総長
聖パウロの娘たちがスーザで活躍している間に、アルバでもう一つのグループが、直接アルベリオーネ神父の手で形成されていきました。特にこの姉妹たちは書院を担当し、また、食事の準備や洗濯、縫い物など、男子修道会のいろいろな必要に奉仕していました。しかし創立者は、女子の召命にはただ一つの方針を与えるよう心がけていました。そしてついに、一つの家族を作るため、スーザのグループをアルバに呼び戻すことにしたのです。
黙想会に参加した女性たち
1922年7月、アルバとスーザの成年女子の黙想会を計画しました。この黙想会の終わりに、その中の9人が、私的に修道誓願を立てました。誓願宣立にあたり彼女たちは新しい名をいただき、その名の前に、“師イエス”に敬意を表して「マエストラ」という名がつけられました。
アルベリオーネ神父は、テレサが“マエストラ・テクラ”と呼ばれることを望んでいました。彼女こそ聖パウロの娘たちの、そしてまた、パウロ家の他の会の「優しくて強い母」となるはずだったからです。
そして7月22日に、聖パウロ女子修道会(l'Istituto della Pia Societa' delle Figlie di San Paolo) は公に発足しました。その日創立者は、新しい立誓者を全員集めて、その日にふさわしいことばを二言三言述べた後、みなに次のように語りました。「今日からあなたたちの総長はマエストラ・テクラです。私は向こう12年の総長として彼女を任命します。その後はあなたたちで考えなさい」と。その時から彼女の死まで、マエストラ・テクラは聖パウロの娘たちの長上であり、母でした。
カスタニート出身の病弱だったテレサは、その集まりでどのように反応したのでしょうか?
謙遜、謝恩の心、そんな重大任務を負う資格はないとの恐れ。彼女は、この恐れをカノニコ・キエザに打ち明けました。すると彼は、一つひとつのことを単純に解決していったのでした。「信じて従順するだけです……」
そう。使命に基づく事業は神のものであり、すべてを行うのは神である、と信じること、創立者の指導につねに従うこと、たとえ指示されることが不可能に見えたり、果ては矛盾のようであってもつねに従うこと。ここに、彼女の偉大さと聖性の秘訣があるのです。それは、後に創立者が自ら言うとおり謙遜と信仰ででした。
聖女テクラ
聖女テクラは聖パウロの最初の弟子の一人で、迫害時代、彼女の偉大な強さが群を抜いていました。「聖テクラのようにあなたも強くありなさい」と、アルベリオーネ神父は彼女にあいさつしました。
このようなことがあってから、マエストラ・テクラは再びスーザに戻り、1923年の3月まで、つまり週刊紙『ラ・ヴァル・スーザ』の発行が他の人の手に渡されるまで、皆といっしょにそこにとどまりました。
アルベリオーネ神父の創立したパウロ家族には10本の枝があります。聖パウロ修道会、聖パウロ女子修道会、師イエズス修道女会、善き牧者修道女会、使徒の女王修道女会、三つの併設在俗会つまり、大天使ガブリエル会、お告げのマリア会、司祭イエズス会と聖家族会、協力者会です。シスターテクラ・メルロや、これらの各会の創設にあたって、シスター・テクラ・メルロはアルベリオーネ神父の期待どおり、パウロ家の他の会の「優しくて強い母」として、具体的援助と母性的励ましをおくったのでした。