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修道生活について
picture by Sr.Mitsuko
神さま、わたしの歩む道を教えてください
カトリック信者の家庭に生まれて小さいときに洗礼を受けた人も、大きくなってから自分の意志でカトリックの洗礼を受けた人も、人生のどこかで自分の進む道を考えるときがあります。好きな人と出会い、この人と人生をともにしたいと願う人は結婚生活をするでしょう。または、独身で信者生活を生きていきたいと思う人もいるでしょう。さらに、司祭になることを考えたり、修道者になることを考えたりする人もいるでしょう。人には、神さまがその人に準備してくださった様々な生き方があります。
神さま、あなたに生涯をささげます
さて、自分の一生を神さまにささげたい、神さまのために生きていきたいと思う人は、修道会に入りますが、カトリック教会の中には、たくさんの修道会があります。そのどれもが、教会からそれぞれひとつの使命を託されているのです。
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歴史の長い修道会としては観想修道会があります。また中世のころからは、社会の中にあって人々のために活動をする修道会が現れました。その時代、その地域の中にあって、神から強い促しを受けた「創立者」と呼ばれる人が、活動を始めます。その働きに共感する人々が次第に集まってきて生活をともにするグループができ、教会から修道会として認められ、活動の地域を広げています。
さて、たくさんの修道会があると書きましたが、その働きはさまざまです。しかしどの修道会も、イエス・キリストを生きるために独特の精神(霊性)、祈り、使命、共同体生活、誓願という特徴を持っています。
聖パウロ女子修道会も、教会からひとつの使命に生きるよう招かれた女性たちの集まりです。聖パウロ女子修道会に入りたいと思う人は、今までの生活から離れ、シスターたちと生活をともにするために修道会に入ります。
イエス・キリストを生きるために
ここでは、聖パウロ女子修道会での生活を支えている、霊性、祈り、使命、共同体生活、聖別奉献についてご説明しましょう。
※ 修道会の歴史については、「ルーツへの巡礼」をお読みください。
霊性
わたしたちを動かす一番大切な精神の部分が「霊性」です。聖パウロ女子修道会の霊性は、「聖パウロが生きたように、キリストを生きる」ということです。修道会の名称にあるように、「聖パウロ」は、わたしたちの保護者であり、模範であり、導いてくれる方です。彼は、3回の宣教旅行をして、イエス・キリストを人々に知らせました。彼は「使徒」と呼ばれますが生前のイエスには出会っていません。イエスが十字架上で亡くなった後の時代に、復活したイエスに出会った人です。しかしパウロは、だれよりも熱心にイエスを宣べ伝え、アジアの各地に教会を建てて、人々をイエスのように生きるよう教育しました。聖書に残っているパウロの書簡は、今の時代のわたしたちにも大きな影響を与えています。「イエス・キリストが自分の内に生きる」ほど熱心に生きること、これが聖パウロ女子修道会の霊性です。
その精神は、修道会独特の祈りの中に生かされています。「道・真理・いのちである師イエス」「使徒の女王聖マリア」「使徒聖パウロ」が、わたしたちの霊性を支えてくれます。
祈り
わたしたちの働きに熱心さを与えるのは、聖体の前での祈りです。朝の祈り、感謝の祭儀(ミサ)、黙想、夕の祈りはどこの修道会でもありますが、聖パウロ女子修道会では、さらに日中に行う聖体の前での一時間の祈りを大切にしています。この祈りは、イエスのように生きるための学舎(まなびや)であり、人々のために祈る大切な時間です。その他、自由な形での30分の祈りがあります。祈りのない修道生活はありません。
使命
各修道会は教会から託された固有の使命を持っています。聖パウロ女子修道会に託された使命は、「人間の進歩と時代の必要が生み出す社会的コミュニケーションの手段を使って、すべての人にキリストのメッセージを伝える」ことです。修道会が創立された1915年のころは、多くの人々にメッセージを伝える手段は、印刷物でした。社会主義が印刷物によって流布し、教会と人々に悪影響を与えていました。悪に利用されているメディアを、善のために使おうと思い、創立者は教区新聞、書籍、雑誌などの出版に力を入れました。その後の時代では、映画やラジオ、テレビというメディアが活用され、今は、インターネットが大きな福音宣教の手段になっています。これからも「効果的な手段」が出てきたら、いち早く福音宣教のために活用できるかどうか検討することでしょう。
共同体生活
修道生活は、入会してきた人々とともに作っていく生活です。修道会に入った者一人ひとりは、友だちと相談して入会したのではありません。一人ひとりの人生の中で、神に招かれて入会しました。まったく知らない者同士の集まりですが、「神に招かれた」という一点をもって「姉妹」と呼ぶようになるほど深く交わっていくのです。まさにこれこそ、神のなさる不思議な業です。ともに生きながら、神の望みを探し求めていきます。姉妹たちとの一致は、使命を果たしていくための力の源です。ともに祈り、ともに働き、ともに食卓を囲み、日々、姉妹間の交わりを深めます。
誓願
修道院に入り、しばらくの養成期間を過ごした後、この会で生きると決心します。そのとき、自分を神にささげ、徹底してキリストに従う生き方をすることを神に約束します。この約束を「誓願」といいます。修道者は、三つの誓願を立てます。それは、貧しく生きられたキリストに従う清貧の誓願、神と人々に奉仕するために、生涯独身の道を選ぶ貞潔の誓願、父である神のみ旨に従って、十字架の死にいたるまで自分のいのちを与え尽くされたキリストの生き方に倣う従順の誓願です。ときどき、「シスターになったら結婚できないのですか?」と聞かれますが、結婚しないということは、わたしが選んだ積極的な生き方なのです。