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どうしてシスターに?

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シスター テクラ 荒 貞子

神さまのみ手のなかでどっぷりと ~あの頃のわたし~

シスター荒


“わたし、ローソクに何となく惹かれるのよ……”と一人のシスターがふと言った時、ああ わたしもそうなのだ、ローソクの灯には ジンとくるほどのノスタルジーを感じているのだと思い出し、自分の召命の原点ともいえる思い出に胸をときめかせました。

福島県の田舎町に生まれ育ったわたしは、イエス様とかキリスト教とかとは縁遠い生活をしていましたが、どうしたわけか マリアさまだけは知っていたようです(もちろんその方が、どのような方か 知るよしもありませんでしたが……)。そして、ローソクの灯をともして、そのマリアさまに お祈りをしていたのでした。

なにを祈っていたのかは 覚えていませんが、暗い部屋にローソクを灯し祈っていました。そのとき、決まって暖かいものを感じていました。きっと、その感覚が好きだったのしょう。退屈とは思わず、長いこと過ごしていたように思います(小学低学年のころでした)。

長じて洗礼を受け、修道生活に召されたわたしですが、このような、子どものころのことなどを振り返ってみると、人間の生涯は、その存在のはじめから 神のはからいのみ手の中にあり、わたしに先んじて神はその道を用意してくださっているのではないかと思います。

わたしは今、神が整えてくださった道を歩んでいます。そして、これからも きっとそうだと思います。いろいろな事に出会います。苦しい事、悲しい事、うれしい事……そんな出来事のあとで振り返ってみますと、いつもそこに 神さまのみ手があるのです。わたしより わたしをご存知の神さまは、一番必要な事を 先に用意してくださっているのです。

まるで、横綱の前を行く露払いのように わたしが歩むべき道を整え、露を払ってくださる神さま……(えっ! するとわたしが横綱? まさか! ……でもホントかもしれない……)。

今こうして、修道生活をし、祈りのために毎日 長い時間をとっているわたしなのですが、あのころの祈りの方が、いかに純粋であった事かと思います。今も時折、おかっぱ頭の少女のころの祈りを、思い出し幸せを感じるわたしなのです。


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