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どうしてシスターに?
シスター マリア・ステラ 土生(はぶ)妙子
伝えることに召されて
「信じたことのない方をどうして呼び求めることができるでしょうか。聞いたことのない方をどうして信じることができるでしょうか。述べ伝える者がなければ、どうして聞くことができるでしょうか。遣わされなければどうして述べ伝えることができるでしょうか。」
(ロマ10章14~15節)
この聖パウロのことばは、わたしの召命の原点です。わたしの召命を考えるときに、ちょうど飛び石のように、神への道を示してくれた大切な人との出会いがありました。「教会って神様のことを教えてくれるんだって。いっしょに行ってみない?」この友人の誘いがなかったら、教会を知ることも行くこともなかったと思います。
修道生活を考えはじめたものの、決断できずに悩んでいたとき、神父様は「召命は神様からの恵みです。ほんとうに修道生活を望むなら、すべてを、神様に委ねなさい。信じるのです。必ず道が開けるでしょう。家族のことも主に委ねるのです。結婚するとき、夫になる人が相手の両親や兄弟のことも心配してくれるでしょう。神様は全能です。ご自分がお選びなった人の両親のことを、お忘れになるでしょうか」と。
ほんとうに神様は召命を与えられただけでなく、家族にも信仰の恵みを与えてくださいました。修道会に入会するとき、あれほど反対していた母も「あなたがほんとうに幸福になるなら行きなさい」と送りだしてくれました。
わたしの修道生活の歩みの中で出会った方との思い出を、分かちあいたいと思います。
はじめて広島に修道院を開くために派遣された、第一日目のできごとです。開いたばかりで何もなく、休む布団しかありませんでしたが、「聖パウロ女子修道会」という表札だけは、何よりも早く門につけました。わたしたちはアイスクリームのカップを茶碗に、ビニールの風呂敷をテーブルのかわりにして、朝食をしていた時のことです。修道院に母子が来られ、「娘が修道院に入りたいと言っているのですが、お願いできるでしょうか? 散歩をしていて表札に修道会と書いてありましたので」とたずねられました。話しているうちに、彼女たちが信者でないことが分かり、修道院に入るためには、まず洗礼を受けなければならないことを話し、教会に紹介しました。
それから3年後、娘さんはある修道会に入会し、今も喜びのうちに修道生活を送っておられます。それを知ったとき、わたしは冒頭の聖パウロのことばをふたたび心に深く味わい、感謝でいっぱいになりました。これからも生涯このことばを胸に、福音宣教者として召された道を、感謝のうちに歩み続けたいと思っています。