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どうしてシスターに?

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シスター マリア・パトリチア 原 勝子

父の許可状

花


受洗して二ヶ月目、初めてのクリスマス。深夜のミサに行きたくて、両親に願った。「真夜中のミサ?」終戦間もない当時の田舎で、まして若い女性が、と考えることすら愚かしいことで、即座に断られた。

しかし、二度、三度願ううちに仕方なく父が同行することになった。ミサ後の茶話会で父と神父様の話に何気なく耳を傾けていると、父が「洗礼を許したものの、修道院へ行くなどと言い出しはしないかと心配している」と話していた。神父様は声高に笑いながら「神様のなさることで、人にはどうすることもできないから、心配することはないでしょう」とおっしゃった。当時、修道院に入るには、最高の教育と相当の持参金が必要だと聞いていたので、わたしにはかなわぬものと思い込んでいた。

一年が過ぎたころ、教会に東京からシスターが来られ、たどたどしい日本語で英文のパンフレットを説明しながら修道会を紹介し、召命黙想会にさそってくださった。わたしはこのとき初めて修道女の姿を見た。

神父様のおすすめもあって黙想会に参加したわたしは、今までの考えを変えた。入会条件は、最高の教育、持参金ではなく、神様の働き人として招きにこたえることであると知った。黙想会の終わりには、もうわたしの心は決まっていた。

わたしの話を半信半疑で聞いていた両親の怒りは極みまで達し、カトリックの教えを否定し、日曜日のミサにも行けなくなった。「(修道院に)行くならわたしが死んでから行きなさい」と泣きながら言う母、「親不孝者め」と怒る親戚を前にして、胸の裂ける思いの中にも、かえって決心が強くなる自分を不思議に思った。

入会の日、修道院に着いたのは、午後4時ごろであった。与えられたタンスに衣類を入れていると、トランクのポケットに一通の手紙を見つけた。父の手紙であった。

「勝子、俺は何も言うことはない。ただ、達者で暮らすことが父の何よりの願いであり、おまえの一番の幸福であることと思う。父も祈る。お前もともに。 父より」まさに父の許可状であった。これを書いた父の心中を思うとつらかったが、また大きな喜びでもあった。感謝の祈りのなかで、吉田松陰のうたの一節を思い出した。「親思う心に勝る親心……」。父への感謝の手紙にもこの一節をしたためた。

あれから47年が過ぎた。その間どれほどこの手紙に強められたことか。今は茶色に変色したこの手紙、父の心を大切にしながら、主への招きにこたえ続ける日々を過ごしている。


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