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どうしてシスターに?
シスター マリア・ティモテア 東瀬戸郁子
神さまに願ったもの
裏山の夕映えの丘に立って、はるか彼方から流れてくる教会の鐘の音を聞くと、お寺の重々しい鐘の響きに比べ、なんと明るく希望に満ちて感じられたことか……。
終戦まもなくのことだった。世界史の時間に、キリストの生涯について聞かされ、なぜ、キリストは罪もないのに殺されたのかと、疑問に思った。それからというもの、学校の帰り道やお使いのついでに、十字架のある教会の前にたたずむことが多くなり、好奇心にかられて中の様子をうかがうこともあった。
社会人になってから、友人に誘われて、初めて教会の門をくぐった。幸いにもカトリック教会だった。学生時代に疑問に思ったキリストの死の理由も、祭司長たちの陰謀という表面的な原因以上に、神のご計画のなかでは、徹底的に父のご意志に従順を貫くことによって人類の救済を成し遂げ、父である神への愛の道を教え示すための、イエスの奉献だったと知ったうれしさ。このかたのために生涯をささげたいと、わたしは強く望んだ。
洗礼を受けるときがきた。そのとき、生涯にいただきたい恵みを3つ願ったら、といわれ、わたしは第一に修道生活を送らせてほしいと願ったのだった。修道院について何も知らず、受け入れてくださる会があるかどうかもわからないまま……でも、神様はこの願いを聞き入れてくださった。教会で、聖パウロ女子修道会のシスターに出会う恵みをいただいたのだった。会の宣教活動を知り、ただもう一筋に、この会を望むようになった。他の修道会を知る機会もあったが、まるで迷うことはなかったのである。これが、召命というものなのだろう。
聖母月の入会を勧められたが、キリスト者でない家族に尽くす最後のこととして、父の法事を万端すませ、6月の「み心の祝日」に入会した。