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どうしてシスターに?
シスター マリア 児玉富枝
わたしが見つけたオアシス
“人にはそれぞれの生き方があり、道がある。
しかし、わたしにとって道はただ一つ、この道だけ”
修道院に入るとき、自分でこう意識したことを思い出す。あれから39年、入会のときの思いに迷いを持ったことはなかった。
身体の弱かった父は「生長の家」を信じていたので、谷口正春の著作をたくさん読んでいた。そしてよく「人は神の子だ」と言っていた。何かあると一心に祈っていた。その影響を受けたのか、わたしは子供心にも神を求めていたような気がする。
「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。
捜しなさい。そうすれば見つけるであろう。」(マタイ 7.7)
かすかな願望であっても、求めていたなら神は必ずいつか叶え、与えてくださる。これはわたしが体験を通して学んだ確信である。求め続けていたわたしは、鹿児島から三重県の津市に出て、就職した。そこでまず教会を捜したのである。ラジオのルーテルアワーを聞いて、パンフレットの聖書を送ってもらった。それから教会に行っている人を捜して連れて行っていただいた。
今こうして振り返ってみると、あのときの行動的な自分に驚いている。他の人に依存しがちなわたしが、このように積極的になることができたのだ。教会に通い始めたわたしは、砂漠を旅する人がオアシスを見つけて生き返り、喜び、感激し、感謝に満たされたときのような気持ちになったのを記憶している。そして受洗の恵みをいただいた。
人の幸せとは何か、どこに真理があるのかを問い続けてたどり着いたのが修道召命だった。教会の先輩たちも次々と修道院に入った。わたしの代母、そして仲間も。彼女たちからは黙想の誘いを受けた。また聖パウロ女子修道会の二人のシスターが教会と会社に来られた。
人々がどこに真理を捜したらよいか分からなくなったとき、教会に、修道生活の中に確かに真理がありますよと告げ、証していきたい。あのとき抱いた夢と希望に向かって、今も喜びと感謝のうちに生きている。