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どうしてシスターに?

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シスター マリア・カルミネ 熊木 利

主に導かれて

シスター熊木


ここに来てかれこれ40数年たってしまいました。年月は矢のように過ぎ去ってしまいました。

それは多分中学生のころだったでしょうか、何もわからないのにシスターという姿に心をひかれてしまいました。当時の映画「セントメリーの鐘」「聖処女」を何回も見にいったものです。美しいものへのあこがれ! とにかくシスターという存在に心をひかれていました。年月がたつにつれてその思いはいっそう強いものになっていきました。教会の勉強に行かないかとさそわれ、何も考えず、すぐ喜んでミッションスクールのシスターのところへ通ったものです。そこではじめて本物のシスターと出会い、洗礼を受けました。

そのころ姉の持っていた婦人雑誌をちょっと手にとってペラペラと見ていましたら、函館の湯の川トラピスチヌのシスターの修道生活が出ていました。くい入るように読みました。心はますます修道生活に強くひかれていきました。不思議ですね。

高校卒業後、わたしは広告代理店に就職しました。そのころ、聖パウロ会の神父様が、やっとの思いで日本の人々にラジオを通して福音をと、日本文化放送局(現文化放送)を設立され、初期の聖パウロ女子修道会のシスター方がお勤めしていました。わたしはコマーシャルの原稿をもって、よく放送局へ行ったものです。シスターに会えるのがうれしくてうれしくて!

家族は、勤めに出れば、その思いはなくなるだろうと思っていたのでしょうが、そうはいきませんでした。自分はこの道だと一直線でした。幸いにも銀座がお勤め先でした。4丁目角に三越デパートがあり、その6階にカトリック銀座教会があったのでよくお祈りに行きました。

マスコミによって導かれたわたしです。そしてマスコミの働きをしている修道会に入りました。とにかく常に主に導かれていたということです。

今まで元気よく走り続けてきたのが、急に片側マヒ障害者になり、今では杖との生活ですが、また新しい宣教の道にほうりこまれ、よき友人と病気の方々とともに楽しいひとときを過ごしているわたしです。まだ働けるようにと、片側の自由を与えてくださっている主に感謝しながら、一日一日を大切に修道生活に励んでいます。残された人生は、今までより幸せな人生かもしれません。

皆様、神に賭けた人生を考えてみませんか? 素晴しいですよ。それは苦難の道もありますが、価値のある道です。この世では100倍、後の世では永遠の命って主はおしゃっておられるでしょう。

※シスター熊木は、右手でコンピューターを操作し、“Laudate”にアップする前の原稿の下打ちのお仕事をし、ホームページ作成に貢献しています。


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