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どうしてシスターに?
シスター マリア・マルチェリーナ 丸尾和子
父の祈りと死
わたしの信仰の原点は、キリスト教的な雰囲気をもった家庭であり、そのような中で召命についても自然なかたちで、神様に導いていただいたような気がする。
父は六人の子供たちの中から、自分を神に捧げる者がでることをせつに願い、家族で毎日となえる朝夕の祈りの時には、「召命のための祈り」を必ず祈らせていた。そんな熱心な信仰をもった父が交通事故で急死した。終戦後まもないころだった。わたしは中学2年だった。召命のことを真面目に考えるきっかけとなったのは、その時からだと思う。突然の不幸でわたしの生活は変わり、進学も諦めなければならなくなった。
人生とは、死とは、神の摂理とはなど、あらためて深く考える日々が続いた。そんな中で自分の信仰を確かなものとしていった。
ある日、女子パウロ会の2人のシスターが教会に来られ、会の紹介や映画を見せてくださった。その時からシスターとの文通が始まり、わたしの心は急速に修道生活へと引かれていった。実際に修道院を見たいと思ったわたしは、先ず大阪の修道院を訪れた。印象的だったのはシスターたちの笑顔だった。とても貧しく簡素な生活の中で喜びに溢れていた。すべてを捧げ尽くした者は、こんなにも喜びに満たされているものかと思った。
東京の本部修道院に行くことを勧められたので、躊躇(ちゅうちょ)することもなく東京まで足をのばした。すでに心は修道院に入りたい一心で燃えていた。本部修道院では、会の目的や宣教の使命について教えていただき、シスター方と一緒に仕事もさせていただいた。わたしの心はますます強く神に向かっていた。母はわたしの決心の固いことを知り、入会を許してくれた。しかし、神父様は反対された。その理由はここに書けない。しかし、反対されればされるほど、わたしの決意は揺るがないものになっていった。
あれからもう49年が過ぎた。神はある時は優しく、ある時は厳しくわたしを導き、より近くからご自分に従うようにと今も招き続けてくださっている。