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どうしてシスターに?

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シスター マリア・ステラ 水元美代子

心の深い望みに導かれた出会い

花


シスターになりたいと思うようになったのは、聖パウロ女子修道会の玄関先のことである。当時、姉がその修道会の志願者として生活しており、名古屋から東京に移って一年後のことだった。

その日は寒く、殺風景なロビーで待たされていた時間はとても長く感じられた。姉が修道会に入って母はショックを受けていたので、わたしは連れもどそうとして修道会をおとずれたのである。

準備していた口上を反復しながら何気なく掛け軸をながめた。「わたしは道であり、真理であり、生命である」と墨で黒々と力強く書かれてあった。どういう意味かさっぱりわからないまま、いつのまにか何度も口に出していた。不思議なことに神様がわたしを呼んでいるような気がしてきた。姉にたいする感情も和らぎ、温かい雰囲気に包まれたように感じた。次第に連れもどそうという意気ごみを失い、逆にわたしも修道会に入りたいと思いはじめたのである。日に日にその思いは強くなっていったが、母にうちあけることもできずに何日も悩んでいた。

ところが急に、志願者だった姉が家に帰ってきてしまったのである。なかばあきらめかけていた母の気持ちは複雑だった。ますます不利な状況に追いやられてしまったわたしは、毎日教会へ行って祈り続けた。母の悲しみや、家族との決別を思うとくじけそうになる自分とたたかいながら、召命を強めてくださるようにと祈った。わたしの決意を知り、理解していた姉が、いつか母の耳に入れてくれるだろうと思い、時を待っていた。

ある日、すこし険のある母の呼ぶ声が聞こえた。「中途半端な気持ちで修道院に行くんなら、はじめっから、行かないほうがいいんだよ。何でもすぐ投げ出してしまうあんたが、一生修道会でつとまるなんておもえないよ」という。わたしの弱さを知っている母に一言も弁解できなかった。すでに名古屋の院長様と入会も決めてしまっていたわたしは、決意をひるがえすこともできず必死の思いだった。そして互いに釈然としないまま入会したのである。

誓願を立ててからも、母は、ひょっとすると戻ってくるかもしれないという不安をもちながらも、家に戸籍がそのまま残っているということで、わたしとのつながりを強く感じていたようである。姉もその後、他の修道会に入ってシスターになっている。

自分の召命のきっかけをふりかえると、いつも不思議な気がする。「おお、神の富と知恵と知識の深さよ。神の定めは悟りがたく、その道は窮めがたい」という聖パウロのことばが心にしみこんでくる。このことばが自然に浮かんでくるとき、心のふるさとに戻るようであり、また新たに出発するための踏み台ともなっている。

「わたしは道である」と、ご自身をわたしに示してくださった主は、今日も招き続けてくださっている。


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