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どうしてシスターに?
シスター マリア・ベルナデッタ 村上道子
神さまのなさり方は不思議
「道ちゃんは大きくなったらシスターになるの?」「なる!」十歳のころ(母がプロテスタントから改宗して間もなく)、日曜学校の先生と交わしたこの言葉は、妙に新鮮にわたしの心に残った。
振り返ってみると、神様は道の要所要所に伏線を張られ、準備してくださっていたが、当の本人は好きな絵に没頭し、中学三年から高校時代、あまり教会に近づかなかった。周囲が言えば言うほどますます嫌気がさし、遠のく始末。
八人兄弟の中の紅一点。カトリックの洗礼を受けているのは両親、弟とわたし。兄弟はそれぞれユニークな道を歩んだが、反対はあってもそれをごく自然なものと受け取っていたし、家族の中にもそういう雰囲気があった。
高校二年とき、授業中に「あなたにとって、キリスト教はどんな意味があるのか」と問われた。公立でクラスの中でただ一人信者であったわたしは、みんなの注目を浴びながら何とかしどろもどろでその場は切り抜けたが、「わたしにとってキリストとはだれか?」との詰問がグサッとわたしの心に打ち込まれた。しかし、自分を納得させる答えを持たなかった。その後、神様はわたしにわかる方法で少しずつご自分を示してくださった。
社会人になって、修道生活について考えたが、「こんなわたしが・・・」という思いが歯止めになり、他に自分を賭けられるものを探していた。
このようなとき、S会のシスターが召命活動のため教会を訪問された。積極的な招きがかえって畏(おそ)れをおこさせ、二の足を踏ませる結果となった。S会に出した手紙の返事によって入会を決めようと思い、待っていた間に、女子パウロ会のシスターが来られた。
「召し出しは神様とあなたとの間のこと、わたしたちはお祈りでお手伝いします。」との言葉に誠実さを感じ、女子パウロ会への道が開かれていった。「特に上手にできなくてもいい。必要なとき、応えることができる恵みをください」と祈った日々であった。結局、S会からの返信はなく、神様のなさり方の不思議を感謝のうちに思い返している。