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どうしてシスターに?
シスター マリア・フィデリス 落合邦子
パウロが呼んでいる、行きなさい
会社勤めの毎日、どんなに仕事に励んでも心は満たされず、その場限りのことに思えて、この仕事の意味は何か? と空しさを感じ、何か価値ある仕事がしたいと思っていた。そんなある日、上司がキリストを信じる方だと知り、教会に行ってみたいと母に話した。
近くに住む先輩の案内で、勤めの帰途教会に行った。ほの暗い聖堂に座ると、赤いランプが静かに光っていて、言い知れぬ厳かさと温かい静けさに満たされていった。
この頃、ある修道会の初めての入会式に参加した。通訳付きながら荘厳な式に感動し、永遠につながるすばらしい道だと思った。しかし、持参金、受洗後2年を経ていなければならないという条件、「そのことは2度と口にしてはならない」と言う母……、わたしの道は八方ふさがりであった。
神父様に話すと、「若い人は誰でも一度、そう望みます」とおっしゃった。ひざまづいて十字架を仰ぐと、「主はなぜこれほど苦しまれ、なぜ血を流されたか? 人々のため、わたしのために!」との思いに頭を打たれたように感じた。これほどまでにわたしを愛してくださる方に従おうと、内心の高まりと決意が湧いた。
再び神父様に伺うと、いくつか修道会案内を取り寄せてみなさいと言ってくださった。一番早く来たのが聖パウロ女子修道会で、神父様にお見せすると、「近いから行ってみるのが一番いい」と言ってくださったので、早速、福岡修道院を訪問した。
神父様は「あなたは、パウロの日に洗礼を受けたから、パウロが呼んでいる、行きなさい」とサインをしてくださった。こうして、入会の許可もいただいたが、その頃勤めていた幼稚園から、交代の先生を連れて来なければ困ると言われた。修道院側の12月の誕生日までに来るようにとの意向に挟まれて困っていると、代母が教員の資格を持っていたので、自分の仕事をやめて交代のため来てくれた。そのおかげで、幼稚園をやめることができた。
喜び勇んで入会したが、仕方なく、しぶしぶ許可をくれた母への衝撃は大きく、記憶喪失にまでなったと知らされ、入会してからも苦しい日々が続いた。しかし、目上と姉妹たちの祈りに支え励まされ、主に信頼して超えてくることができたと思う。
初誓願式に上京した母は、帰宅して「あの子が忠実であれば、最良のよい主人を選んだ」と語ったと姉が伝えてくれた。信仰の喜びを家族と分かち合えるようになりたいと、典礼の季節ごとに母に祈りの意向を知らせ、共に祈るように勧め、終生誓願と時を同じくして、母も洗礼の恵みをいただいた。「神の恵みはわたしのうちに無駄にならない」と言った聖パウロに倣い、最後まで忠実でありたいと願う日々である。