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どうしてシスターに?

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シスター マリア・ヨハンナ 嶋津悦子

むなしさの体験が与えてくれたもの

シスター嶋津悦子


40年近い修道生活を振り返るとき、いくつかの重要な地点での大きな恵みや、忘れかけている日々の恵みを点で表すと、わたしのうしろに、緩急に満ちた太く細い一本の道が出来上がる。主が名指しでわたしを呼び、共に歩いてくださった軌跡である。わたしは17歳のとき両親と共に受洗し、その3年後の秋に女子パウロ会に入会した。なぜ修道会に? とよく問われる。神様が呼んでくださったからという普遍的な理由のほかに、あえて言うなら、思い当たることが二つある。

一つはむなしさとの出会いである。社会に出て友人もふえ、若さを満喫できるその時に、必ずやってくる終わりのとき、何ともいえないむなしさが「これでいいのかしら?」と問いかけてきた。何か足りない、何か……その思いは、楽しいことが続けば続くほど、ずっしりと心に残っていった。

もうひとつは、人との出会いである。女子パウロ会に入会していた姉が、家族訪問のため久しぶりに帰って来た。ほんの数日だったと思うが、ある晩、夜中すぎまで2人で語り合った。話の内容は覚えていないがたぶん修道会のことや、姉が体験した修道生活のことだったように思う。あの夜の姉との話は、むなしさの体験の中であえいでいたわたしにとって将来どう生きたいのかを具体的に考え始めるきっかけとなった。

その後、わたしは勤めの帰りに、たびたび教会に立ち寄るようになった。聖堂を出て帰ろうとするわたしに、教会で神父様方のお世話をしている、遠縁にあたるおばが声をかけてくれた。忙しい夕暮れ時なのに、そんなそぶりはまったく見せないで、わたしの悩みに耳を傾けてくれた。説教するでもなく、指導するでもなく、いつもにこにこして、包み込むあたたかさでわたしの話を受けとめ、「祈っているからね」と勇気づけてくれた。こうしてわたしは、生涯を主イエスにかける道を選ばせていただいた。

あのとき味わったむなしさは、今はもうない。そして、わたしの修道召命のきっかけとなり、導きともなったあの出会いを、今も感謝のうちに思い起こしながら、日々出会う人々とのコミュニケーションを大切にするよう心がけている。


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