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どうしてシスターに?
シスター メヒティルディス 清水京子
シスターたちに囲まれて
頂いた信仰の恵みを思いおこすたびに、神様の無償の恵みがわたしをいつも導いてくだ さっていたことがわかる。
「どうせいつか受けるんだったら、早く受けた方が早く神様の恵みがもらえるよ」という信徒の方の言葉に信頼して、たった二カ月の勉強で洗礼を受けてしまったわたしは、教会や信仰生活について、何も分かっていない状態でした。それでも熱心にミサに通っていたある日、「黙想会」ということばに出会いました。ぜひ参加してみたいと思い、カトリック新聞で見つけた黙想会が女子パウロ会でした。
大勢の若いシスター、おだやかな笑顔、ベッドの白い木綿のカーテン、聖堂での共同の祈り、庭を駆け抜けるシスター、ギターを抱えわたしたちのために歌ってくれる楽しそうな顔。
黙想会が終わって一カ月も経たないある日、シスターから電話がありました。宣教のために糸魚川へ出張するので、途中にあるわたしの教会で日曜日のミサにあずかりたいということでした。
元気な4人のシスターたちに囲まれてミサにあずかっていると、なんだかとてもうれしくなりました。わたしの周囲だけスポットライトが当たっているようで天にいるような気分です。修道生活という生き方が心の中に入ってきたのは、このときからのようです。
結婚適齢期といわれる年齢が近づき、わたしも自分の人生について考えるようになりました。「結婚しても幸せに暮らせるとは限らない。人間、心変わりもするだろう。しかし、神様は決して裏切らない。司祭のように生涯を神に捧げ、遠い異国に来て宣教している人もいる。そういう人が今までの長い歴史の中で、大勢いた。一度しかない人生なんだから、わたしにとって価値ある生き方をしたい。わたしにとってそれは信仰を生きることだ。死ぬとき、イエスに従って生きてきましたと言って死ねたらいいな。それをよりよく生きるには……、修道生活だ!」
「イエス様を知らせたくて修道院に入った」という熱心な人とちょっと違いますが、これがわたしの動機です。