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どうしてシスターに?
シスター マリア・マキシミリアナ 手嶋照子
1949年。そのころ、教区の司牧はパリ外国宣教会から邦人司祭の手に委譲されたばかりでした。当時福岡市内のカトリック教会はただ一つ、司教座の大名町教会だけでした。
そこに新しく赴任して来られた主任司祭は、当時としては珍しく司祭館や書斎までも信徒たちに開放しておられました。それで日曜日の教会は、わが家のように自由に出入りする若者たちでいっぱいでした。この神父様は、皆が集まっているところにたびたび顔をだしては冗談を言い、楽しい話をしてくださいました。特に、若者の将来については真剣に考えておられる様子でした。
ある日「どう、どの修道会の服が好き?」と言って一枚の写真を差し出し、さりげなくわたしたちに問いかけられました。そこには大勢の修道女たちが写っていました。そのころの女子修道会はそれぞれ固有の制服をもっていたので、すぐにどのシスターがどの会の修道女か見分けることができました。わたしたちは興味しんしん・・・。この制服が格好いいとか、よくないとか、それぞれ皆の前で他愛もない反応を示したものです。
それから神父様は、「修道生活にしても結婚生活にしても、25歳くらいまでに決めるがいい」とも言われました。しかし、わたしは、まだまだと思い、それ以上は考えませんでした。
そういう時期を経た後、今度はパウロ会の司祭や女子パウロ会のシスターズに出会い、自分の召命について考える時が来たのを感じました。毎日曜日に出会うイタリア人のシスターズの明るい雰囲気や快活な姿に接して女子パウロ会に興味をもち始めたのです。それからわたしは、真剣に修道生活を望み、祈るようになりました。
1951年。謙遜で単純なシスターズの姿に導かれて、ついにわたしもその仲間に入れていただこうと決意をしたのでした。
実にシスターズの単純さは、透明な光のように輝いていました。彼女たちの内には創立者の精神が受け継がれ、それが溢れ出ていたのだと思います。