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どうしてシスターに?

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シスター マリア・ルチアナ 柳川鈴子

よし、ここだ

シスター柳川


初誓願を宣立してから今年2000年で45年になる。原爆で広島の街が灰になった時から、「わたしは何のために生まれてきたのか?」と問い続けてきた。焼け野原の中に一軒赤い屋根、丸い玉、その上に十字架のついた建物があった。「あれはなあに?」「キリストさんよねぇ」行ってみよう……。

そこに行ってわたしが聞いたのは「人間が生まれてきたのは、神を知り、神を愛し、神に仕えて、ついに天国の幸福を得るためです」ということだった。「えっ、天国の幸福、そんなすばらしいことのために生まれてきたのか。よかった!」

洗礼名を決めるために『バラの聖女』という本を借りて読み、この世にこんな清い生活があるのか、わたしもシスターになろうと思った。だが実際にシスターを見たことはなかった。

たまたま友人が持っていた修道会案内のパンフレットで「本で宣教するシスターたち」のことを知った。「ここだ! わたしがいただいたこの喜びをみんなにもわけてあげたい」と思った。わたしが通っていた教会のチースリク神父様は「10日間ぐらい修道院を見ておいで」と言われた。母をうまくごまかして、汽車で24時間の東京へと旅立った。

 

無事東京に着き、乃木坂にある聖パウロ女子修道会を訪ねた。応接間で待っていたわたしは映画で見たように、院長様が大勢のシスターを従えて来られるのだ、と思い込んでいた。

ところが、入ってこられたのは小柄なシスターがひとりだけだった。わたしにいろいろとたずねられたが、ご自分の方からは何もお話しにならなかった。10日間いっしょに過ごさせてもらってわかったが、あの小柄なシスターが院長様だった。

シスターたちはにぎやかで、よくしゃべり、よく働く。そして家庭的だった。わたしの心と体がピタッと落ち着いた。「よし、ここだ!」と感じ、入会をお願いした。

母に「わたしは尼になります」と宣言した。その前にわたしは黙って洗礼を受けて叱られている。原爆で父は行方不明、母は泣き、兄は怒った。

そこへ天使があらわれた。隣家の易者をしているお兄さんが「どうしたのか」と入って来た。母が「この子が修道院に行くと言ってきかない」と説明すると、彼は「子どもは神から預かった者だから、神が返せと言われるのなら返さねばならん」と言った。この一言で涙は喜びに変わり、わたしは翌日東京へと出発した。


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