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どうしてシスターに?
シスター マリア・アグネス 吉岡洋子
墓地で祈った結果
わたしは幼児洗礼である。その故か、神父様やシスターは特別な人種と思っていた。だからわたしがシスターになるなんて考えたこともなかった。
教会の中で仲のよかった友人と「あなたとわたしの家族で、聖堂の最前列をうめようね」と言っていたくらいだった。ところがある日、おしゃべりを楽しんでいたとき「○○さんはシスターになるんだって!あなたも なれるかもね」と言われてから「フーン、わたしにもそんなことがあり得る?」それからわたしは真面目に考え出した。そして宣教女の方々が眠っている墓地に行って「主の思し召しを悟らせてください」と祈った。そして墓地を出た時に、女子パウロ会のシスターに出会った。それが運命の出会いで、時は夕方の4時ごろだった。
両親はわたしが一人娘だったので つらかったに違いないが、信者なので反対はしなかった。その代わり主任司祭が反対した。当時の使徒職として女子パウロ会は、家々を一軒ずつ回って、カトリックの出版物を普及していた。○○教区は、はじめのころその使徒職に対して否定的だった。主任司祭は言った。「シスターがそんな仕事をするなんて! シスターはお祈りをしていればいいんです! 他の会にしなさい。」
わたしは、神父様に反対されればされるほど闘志を燃やした。対立が続いた。教会は遠かったが、四旬節中、毎朝ミサに行った。そしてついにある日、ミサ後十字架の道行きをしていた時、神父様がドカドカと足音高く入ってきて「修道院に入ってもよろしい! 」と言われた。第4留だった。( 十字架を担われたイエスが悲しみの聖母にお会いになった場面 )
あれから半世紀がたった。使徒職も時代につれて いろいろと変遷を重ねて来た。形態は変わっても、聖パウロのように すべての人に福音を述べ伝えたいという熱意だけは生涯持ち続けたいと願っている。